桐生あんずです

日常やプログラミングについて書いています。

父親に自分のインターネット活動を見られるようになった話

 桐生あんずです。

今週のはてなブログのお題が父の日に因んでなのか、「おとうさん」らしいです。

最近、父親とインターネットに関わることで書きたい話題があるので一筆したためてみようと思います。

今年の春休みにに実家に帰った時のことです。ふと父親のスマホを覗き込むと、Google履歴にとても見覚えのある文字列が見えました。

「桐生あんず」

私のハンドルネームやんけ!!!!!!!!!!!!!!!!

 

2018年3月、7年近くインターネットでの活動をこそこそと続けていた私でしたが、ついに父親にインターネットの発言を見られるようになる生活に突入してしまいました。

Twitterアカウントを鍵垢にするか一瞬悩みましたが、インターネット活動が既にプライベートのものから今後のエンジニア活動に関わってくるものになり始めていたのもあり、様々な人に見てもらうために続けていきたいと考えていたので、諦めて父親にも見てもらうことにしました。今までも一応誰に見られても困らないことをアウトプットしているつもりだったし。

ということで、22歳になってついにインターネットの発言を父親に見られる日々が始まりました。

ここからは父親にインターネットを見られていることが公認になってからの印象的だったエピソード集です。

オフ会の一番最初にするような会話を父親とすることになる

インターネットのオフ会で初対面する時って「あっ!◯◯さんのことは◯◯の記事で知ったんですよね〜!」のようなどこから存在を知ったかどうかみたいなトークを改めてすることがありますよね。

最初に聞いたのはまずそこからでした。

あなたはどこで「桐生あんず」を知ったんですか…?(実際の会話のノリは「えっどこで分かったの?笑」という軽いノリでした)

あまりその時の会話のことはもう覚えていないのですが、ばつの悪そうな顔をしながら「立命館大学ラーメン研究会って調べてたらブログが出てきた」という返答をされたことは覚えています。

この記事か!!!!!!!!!!!!!!!!

kiryuanzu.hatenablog.com

思わぬところから身バレに繋がる行為をしていました。ラーメン研究会の人たちとは飲み会や旅行に行くこともあって、その話を父親にちょくちょくしていたもんね…。でも、そこから気になってインターネットで自分の娘の所属するサークル名をググり出すのは今時の父親っぽくて好きです。

子供の身辺を心配して子供が所属している団体をサーチする活動、今時の心配性なお父さんお母さんはよくやってそう。最近どっかの大学の体育会系団体が大変なことになっていたし…

心配性というと、私が1月に就職活動の一環でいくつかのWeb企業へ会社訪問を行った際に明らかに社名がわかるような写真ツイートをしたところ、「ネット活動には気をつけろよ」という忠告をボソッとされたことを覚えています。

いや、違うんだ、分かるんだけど、この界隈だとそういう発信を行ってもいい空気があるんだ…。

きっとこの頃から「桐生あんず」を追い続けていて陰ながら心配をしていたということなので、ありがたい一方で「あんなツイートやこんなツイートもチェックしていたのか…」と震え上がりそうになります。

ツイートが少ないと心配LINEが飛んでくる

体調が悪かったり、多忙だとツイートがどうしても少なめになる時があるんですが、その時にいつも「大丈夫ですか?」というLINEが飛んできます。完全に数時間単位で見られている…。

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LINEを返さないとTwitterが生存確認ツールになっているらしく、Twitterでも投稿がないと心配になるらしいです。ちゃんと生きているので大丈夫です。

何らかのアウトプットをするたびにレビューが飛んでくる

RubyKaigiの時のブログの感想をLINEで送ってきました。この記事投稿して10時間も経ってないはずなんですが…。

プログラミングの勉強会を行なっている時の感想ツイートもバッチリ補足しており、ここでもやはりLINEが飛んでくる。

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こうやってネット活動に対するフィードバックをもらえるのは嬉しいんですけど、それが実の父親だと地味に恥ずかしくなってきます。いや、見てくれるのはとてもありがたいのですが。

 

まとめと父親との関係について思うこと

主にこんな感じです。このようなやりとりがほぼ毎日ある現状です。

人によっては「こんなの恐ろしい、耐えられない」みたいに実の親にネット活動を見られることに恐れを感じる人がいると思うのですが、ちょうどプログラミング活動を行うにあたって「誰に見られても良い」というスタンスでインターネット活動をした方が都合が良いということに気付いて切り替えていた段階だったので、私の場合は今までのネット活動を非公開か全て削除したくなるぐらいのような大きなダメージは受けませんでした。

でも、初めて会う人に「桐生あんずさんですよね!◯◯の記事とかで◯◯のWebサービスで知ってます」と言われるより、実の父親に「桐生あんず」という存在をチェックされて知られているのは結構不思議な気持ちになります…。

 

このような関係性に関して、今も抵抗がないのはもう一つ理由があると思います。

この記事を読んでもうお気づきの方はいらっしゃると思うのですが、うちの父親、「超がつくほどの過保護」なんですよね。

 

それに関しては、生まれるのが遅かった子供だった(結婚して8年目でやっと生まれた)り、一人娘だったり、昔から何かと忘れ物やケアレスミスをする人間なので見ていないと不安だったりと様々な条件が重なってこうなっていると思います。

小学2年生の頃に行ったディズニーランドでどこの場所でも絶対手を離してくれなかったことを今でもすごく覚えています。小学校高学年に上がるまでずっとそうだったんじゃないかな。

 

また、父親は公務員といった堅実な職についており、幼少期から「公務員になったら絶対人生が安定するから」と言い聞かされて、そのまま私は深く考えずに法学部に入って最初は公務員になることを考えていました。

ただ、プログラミングを知ってしまったことで大学4回生になってからWebエンジニアになりたいという気持ちを抱くようになり、Web企業の夏のインターンシップにこっそり応募して、書類選考が通ってこれから面接をしないといけないと話をした時、今までにない以上にめちゃくちゃ怒られました。

 

細かく話すと面倒なので簡単に要約すると「プログラマーなんて不安定な職業は絶対にやめろ」という話でした。

その時、父親のあまりにも保守的な振る舞いに絶望して本人の前で大泣きしながら反抗の言葉を何度か放った後、と実家の自室でもう一度泣きました。

なんでここまで悲しかったのだろうと今思うのですが、やっと見つけられた自分の一つのあり方を否定されて、興味のない他の職業の選択肢を強引に提示されるという行為をずっと信頼していた父親にされたことがすごくショックだったのだと思います。

私のことを思っての行為だったのかもしれませんが、私のことを信用してくれないように感じてしまい、感情を大きく動かされたのかもしれません。

 

その翌日、すぐに謝られました。(父親は、私に嫌われたくないので私に落ち度がある話であっても毎回すぐに向こうから謝ってきます。本人が読む記事でこんなこと書くものではないんですが。)

その後、私が初めて作ったWebサービスを見せたり、RubyKaigiのことを詳細は隠して話して子供の頃から好きだったサービスのエンジニアの人たちと仲良くなれたことを話すと、そこそこ嬉しそうな反応を返してくれるようになりました。(こういうことを口頭やLINEで話すからネット活動バレの原因になるんですよね)

 

またまたその後、今のバイト先にジョインすることが決まった1月の時には、「こういうアプリがあれば面白いと思うんだけど〜」といったアイデアをどんどん話してくれるようになったり、技術者としての心得(父親は高専卒なのでそこらへんの話も好きなようです)について会話を交わすようになったりと、私がWebエンジニアになることについて肯定的な態度を示すようになりました。

 

その結果、今は毎日のように私のインターネット活動を監視してレビューしてくるようになってしまいました。

こう考えると様々な流れがあって面白いなあと思うのですが、反対されるよりはマシかなあと思います。多少シュールな関わりに見えますが。

留年したり、急にプログラミングをやり出して東京や広島や仙台に行き出したり、今も何かとマイペースにやろうとしていたりと、不安ばかりの娘かもしれませんが今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

今週のお題「おとうさん」