桐生あんずです

日常やプログラミングについて書いています。

小さな成功体験を積んでいくと精神に良い

桐生あんずです。

至極当たり前なことだと思いつつも、自分が頑張って成果を出せた・プラスアルファで周囲から褒められるとやはり嬉しい気持ちになれるというか成功体験を積むことができたなと思える。直近だと以下のような経験。

この小さな成功体験を分解していくと、困っていることをぼやきレベルで共有する→想像もしていなかったチャレンジングな解決策を提示される(自分ができるのかちょっと自信を持てない)→ほぼ偶然のタイミングではあるがそのムーブをやることになる→自分の想定以上に結果を出すことができた、という流れのように思える。

人によっては「司会orファシリ業ってそんなチャレンジングではなくない?」と思う人もいそうだけど、自分の場合そこそこ大人数の場で声を出すのが割と苦手で、そんな自分が場をちゃんと回せられるのか?と表には出さないけどあまり自信を持てないメンタルに陥っている。ただ、任せていただく機会が発生したのでチャレンジしたところ思ったよりもうまく話せて周りからも喜ばれる場を設計することができたのが自分の中では大きな満足感を出せている。

 

こういう成功体験の種はあちらこちらに転がっている気がして、今までも無意識に手にしてきたような気もする。ちょっと前までやっていたプリチャンというアニメでは主人公が「やってみなくちゃ分からない!分からなかったらやってみよう!」という思想を元に話がどんどん進んでいて勇気をもらえる気がするのだった。

 

ルーンファクトリー5を買うまでの葛藤

なぜここまで同性婚システムにこだわっていたかについては一つ大きな理由があって、大学生の頃にルーンファクトリー4では普通に恋愛システムを楽しもうとしたところ、全てを許容してくれる平和な甘い世界すぎて現実(当時)との落差に耐えられなくむず痒い気持ちになってしまいちょっとトラウマ化してしまったのがある。 創作物の恋愛描写を楽しむ時は百合コンテンツもいけるようになったのも大きいけれど、最初に上げた理由が起点としてやはり存在する。

小学生の頃は無邪気に牧場物語の恋愛要素を楽しんでいたけれど、精神面の変化もあり、20代を境目にゲームの中で異性愛シチュエーションを体験するとむず痒くなってしまようになってしまったのだった。ただし自分が男性視点で現実世界の倫理観とかけ離れている場合は普通に楽しめる。(ランスシリーズ等は大好きなので……)

Stardew Valleyの同性婚システムも上記のような異性愛をやらなくて済むので安心感を持って楽しむことができた。アビゲイルの見た目と性格にシンパシーを覚えて即求婚しました。

乙女ゲーの記憶を改めて呼び起こすと、小学校低学年の頃にちゃお原作漫画を基にしたGBAのソフトをやっていた時は記憶が根強く残っている。当時は全キャラを順に攻略していくという行為が理解できなくて推しっぽいキャラのルートをひたすら周回していた記憶がある。 小学生の当時は牧場物語シリーズの恋愛要素も普通に楽しんでいて、ミネラルタウンのなかまたちではクリフを選んでいた記憶。ワンダフルライフはロックを選んでいた。

結局のところ、色々考えても仕方ないと思い始めてみると、ルーンファクトリーのシステム自体は昔から好きなのもあり普通に楽しむことができている。寝る前に30分ほどちまちまやるようになった。

肝心の恋愛システムについては、自己投影は極力せず適当に複数のキャラの好感度をほどよくあげて見た目と声優がなんとなく気になったキャラを選べばいいのではと心の整理をつけることができた。

二重整形(埋没法)をやってから2年半経っていた(目の画像があります)

桐生あんずです。

過去の記事を読んだ方はご存知かもですが、自分は2018年11月頃に二重整形の埋没法をやりました。

気づいたらもう2年半経っていることに気付き、過去写真の比較や施術直後の状況を色々思い出す作業をつい始めてしまいちょっと面白かったのでブログに書き残しておきます。

(注意: 目だけを拡大した画像が連続で出てきます。苦手な人はここでブラウザバック推奨です!)

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日曜日にザ・ノンフィクションの総集編後半を見た。

共同生活者にギークハウス回を見せたかったのでそのタイミングで声をかけて一緒に見て、それから15分ぐらい経ったところで「情報の豚骨スープだ……」と言い残して部屋に戻っていった。

その後は一人で最後まで見て、和尚さんの話や百姓一家の結末の話が印象に残ってしまい一日経っても思い返していた。

ザ・ノンフィクションに出てくる高齢者、60~70代くらいで癌か何らかの病気にかかって早逝する確率が高くないか?と悲しくなってしまったのだけれど、他にも様々な回があるはずなので今回の総集編がそういう人をできるだけ集めただけなのかもしれない。普段やっている45分形式だと濃度が高すぎて食傷気味になってしまうのだけれど、今回の形式なら5分ぐらいで一気に話が切り替わるので気軽に様々な人生情報を摂取できて良かった。そのおかげなのか、普段の平日よりも元気が増しているように感じる。

食生活の話

桐生あんずです。

以下のようなツイートをして色々思うところが湧いてきたのでブログに書いてみます。

二人暮らしを始めて数ヶ月経つのですが、殆ど家で食事する生活(自炊+冷凍食品)を続けています。その結果、食費が二人暮らしでの平均値より2~3万円ほど下回っていて意外と節約できているんだなとなりました。まぁあくまで平均なので自炊メインでやっている人たちはみんなこんなもんなのかもしれない。

ちなみに惣菜メインで生活している実家の両親の食費は上記の生活の2倍らしいことも判明しました。(母親曰く、「老い先短いのだから美味しいものたくさん食べたほうがいい」という思想で、父親がその言葉を聞いた時に「いや、思っているより長いと思う……」と心配そうに突っ込んでいました)

 

食費が安くなるのは良いことではあるのだけれど、自炊を毎日続けていく中で以下のような悩みが発生するようになりました。

 安定して美味しい料理を作ることができない

これは自分の自炊レベルがまだまだ低いのもあると思うんですが、毎回安定して美味しい料理を作れるかというと微妙で、普通、それ以下の微妙な味の料理を生成することも度々あります。食べるのが一回のみだったら良いんですがそれを作り置き用として作った時に再び微妙な味と対面することになるのが辛い。

安定して作ることができたとしても飽きてきてしまう

上の文章を読んで「いやさすがに毎日作ってれば安定して作れる料理のラインナップもできてくるだろ」と思う方もいると思います。

それはそうで、我が家にはホットクックもあるのでつくりおきとしてミートソースやカレー、おでんのいずれかを週1間隔で作るようにしていて、最初はまぁまぁ美味しいな〜と思うんですがルーティンで食べ続けるとかなり飽きてしまうんですよね。

毎週ミートソースを作って3日連続で食べ続ける、みたいなことをやった時期が個人的に辛くてミートソース以外の作り置きの頻度を増やすようにしたんですが、それでも飽きは来てしまい新しい料理を取り入れるように心がけています。ただ、新しい料理に挑戦すると慣れない部分が出てきて安定して美味しく作ることができない問題に再び出くわします。その試行錯誤で美味しく作れる料理を見つけ出しますが、何度も作ると飽きがきてしまうのでまた新しい料理を求めることになります。

他人の手で作られた安定して美味しい料理が食べたくなってくる

試行錯誤して美味しく作れる料理のレパートリーを増やしていくのも料理の醍醐味だと思うんですが、微妙な味の料理を作ってしまった時の絶望感に耐えられない時があります。そうなると、「外食するかお惣菜の弁当が食べたい〜〜!!!」という欲求が湧き上がっていくことに最初に上げたツイートの話を書いてから思ったのでした。多少高くても、安定して美味しいものにありつけることは十分価値があると思うんですよね。

まとめ

なんかネガティヴめに書いてしまった気がするのですが、基本的に料理を作ること自体は楽しいのでもうちょっと安定して美味しく作れないかな〜と思っている今日この頃です。また機会があったら普段どんな料理をしているのかもブログに書いてみたいと思います。

そんな感じでした。ありがとうございました。

「珈琲いかがでしょう」を読んだ

桐生あんずです。一応ですがネタバレはできるだけ書いてないです。

元々広告で存在は知っていて、本作品もコナリミサト先生の作風が出まくっていそうなオーラを感じていたのだけれど、なぜか読むまでには至っていなかった。 

 4月からちょうどドラマが始まっており、主演がドラマ版「凪のお暇」のゴン役だった中村倫也氏とドラマ版「きのう何食べた?」でジルベールの役を演じていた磯村勇斗氏が出ていて見覚えの配役で面白そうな予感がした。

そこで早速1話を見た所、なんとなく楽しめそうな雰囲気があり、ツイッターでつぶやいていたらLINEマンガでも読めることを教えてもらったのでドラマ1話の続きの回を読み始めたところかなり刺さるものがあったのでこれはKindleでガッと読んでしまおうと思い立ち全巻購入してしまった。全巻といっても、3巻しかないので気軽に買えるのも良かった。

 

全部読んでしまった結果としては、短い話数の中でかなり綺麗に納めてて最後辺りは泣いてしまうほど出来がよくてびっくりしてしまった。事前ネタバレなしでここまで楽しめた作品は久々かもしれない。

コナリミサト先生の作品は「凪のお暇」や「黄昏てマイルーム」はがっつり読んでいてそこそこ好きな部類の作品群になるのだけれど、基本的に作風のベースは似通っているように感じていて社会での立ち回りに苦しむ主人公やモラハラ元彼からあの手でこの手で逃れようとする主人公が確実に出てきて人生において新しい視点を発掘していく流れになることが多い。

その経過の中ではドロドロとした感情がたくさん表現されているのだが、「そんな感情たち全部ひっくるめて自分を愛したっていいのよ」と優しく伝えてくれるメッセージがそこはかとなく生み出されているようで読んでいるうちに元気をもらえる。

 

自分の弱みを伝えておく方がコミュニケーションがやりやすいことに気が付いた

桐生あんずです。

顛末

最近業務で様々なタスクが降ってきて手が回らなくなってあまりにも申し訳ない感じになり、自分がタスク管理苦手人間だったことを改めて自覚した。
見るからに厳しそうな状態なのに周りに対して何も言わないのはマズいなと感じてモヤモヤしていたところ、チームメイトが相談に乗ってくれて具体的な解決策を沢山考えてくれて、チーム内でその悩みを打ち明ける環境づくりも手伝ってもらえて本当に助かったのだった。
また、以前にも「チームの人たちにちゃんと追いついていけるかちょっと不安になっている」とポロっと言った時に周りから「そういう悩みを教えてくれてありがとう」と感謝されることがあり、自分自身も周りからの理解が得られたことで、肩の荷が降りたような気持ちになり以前よりも仕事で感じていたストレスが減ったように感じる。

そういったコミュニケーションをやっていく内に、「あれ?自分の弱みをちゃんと伝えた方が自分にも周りにも良いことが多いのでは?」という気付きが芽生えていた。

過去の状況

過去のブログでも書いた記憶があるが、自分は学生生活の間は人に頼み事をするのが本当に苦手で、頼み事するくらいなら自分の力でどうにかする、という風に動いてギリギリのラインで耐えることが多かった。それは頼み事をする=人に弱みを見せる、迷惑をかけてしまうと思い込んでいて出来なかったのでは?とずっと考えを巡らせていた。
そんなことを考えているうちに、周りの人はみんな必要があれば素直に頼み事をしていたのを思い出してきた。自分がもし頼まれる側でも困っていることを素直に伝えてくれたら何かしようと思えるし(何でも引き受けるわけではなく状況にはよるが)、迷惑をかけられているという感覚はあまりなかったと思える。
むしろそれが仲良くなれるきっかけで結果的にハッピーだったということもちょくちょくあり、良いことの方が多かったような……。

何が言いたいかというと、みんな普通に困った時は弱みを見せていて、適切に人と繋がる手段になっていたように感じる。
自分自身も頼み事をするのは苦手だと書いてはいるが、本当にどうしようもなくなって人に対して悩みを相談したことで深く仲良くなれた経験は多くあるように思う。

現在

「その弱みを伝える」行為を仕事で適用して大丈夫なんだろうか?とこの1ヶ月くらい悩むことがあったが、自分だけがモヤモヤしていてもどうしようもないな、と思って「こういうことがあって困っている」という感情をチームメイトやメンターに対してやんわりと伝える振る舞いを行なったところ、顛末で紹介した出来事があり、上記のような気付きを得た。

このようにして、自分側からちゃんと弱みを伝えることは大事であると理解できるようになったけれど、逆に相手から弱みを見せてくれた時にちゃんと親身に向き合って一緒に考えられるように動こうと改めて思ったのだった。
今もできるだけそういった振る舞いは心がけているけれど、更に自覚的に動けるようにして周りの人たちのことをちゃんと気にかけられるようになりたい。

蛇足

こういう話、どっかの本であるだろうな〜と記憶から引っ張り出そうとしたら「ひぐらしのなく頃に」が浮かんだのだった。オタク思想で厳しい。
ひぐらし、後半ではとにかく「困っていることがあったら話してくれよ!!!仲間(チーム)だろ!!」的な話になって運命を変えていく話なので相談は大事、という結論になりやすい。(ホンマか?)どこかでチームビルディングとひぐらしの話を結びつけていた人のツイートを見た記憶があるんだけど、全く見つからないのでただの自分の妄想なのかもしれない……。

そんな感じです。ありがとうございました。