桐生あんずです

新卒エンジニア1年目のブログです。日常やプログラミングについて書いてます。

褒められる行為に向き合うこと

桐生あんずです。

7/1を迎えて試用期間が終わり、チーム配属があった。

気付けば入社から3ヶ月経っていてあっという間の時間だったな……と感じているけれどその期間の中でも小さな心境の変化のようなものはあった。

タイトルの「褒められる行為に向き合うこと」の通り、褒められる際の受け止め方へ考えの変化だ。

入った会社では何かあったら小さなことでも大きなことでも褒め合うといった暖かい文化が形成されている。新卒に対しても例外ではなく、入った当初から社員の方から褒めていただける機会がたくさんある。嬉しい気持ちになりつつもここまで様々な人から自分の行動についてポジティブな評価を与えられ続ける経験があまりなく、どう受け止めていくべきか悩む時が一瞬だけあった。

 

「どう受け止めていくべきかわからない」と言っても褒められることに対して単純に嬉しいという気持ちはもちろんある。人からプラスな評価を受けるのは嬉しい。ただ、それに目を向けていくうちにただ「褒めてもらうこと」に依存する自分が強くなっていく怖さがある。

調子がいい時なら「褒めてもらうことに依存すると何がしたいかあやふやになってしまうな。自分がやっていて楽しいこと・好きなことを把握してそれを楽しみつつやってたまに評価をもらえたらラッキーと思えるくらいが良いなあ」と自分の状況を把握して向き合っていけるのだけれど、調子が悪い時になると自己肯定感がどんどん下がっていって認知の歪みが生まれた結果コップの底に穴が開いた状態で水を入れられても満杯になることができないような、無意識的に承認にすがるような状態になっている時があるように思う。

なぜそうなってしまうのかは思い当たる節があって、中学の時は勉強も運動もとにかくダメだった状態から高校では勉強だけはそこそこできるようになった際に各方面から「あの時は全然何もできなかったけど勉強ができるようになって良かったね」といったような褒められ方を沢山されたことが強く印象に残っているからだと思う。

 

そこからは、どんなに良い成果が出せたとしても、「自分は元はダメな人間であるから」といった極端に自己評価が低い状態が続いているように感じられる。

じゃあどうしたらいいのか、という話なのだけれど難しいことは考えず過去のネガティブな評価のことは記憶の片隅に追いやりつつ今やっていて楽しいこと・好きなことを見つけてそれらに心血を注ぎ込んだ上で同好の士や近しい人たちとポジティブな褒め合いを行う環境にいるのが一番の近道なように思う。

ただ、そういった環境を身を置けたとしても「自分のような人間がここまでしてもらっていいのだろうか……」と申し訳なくなる時はどうしてもある。

 

そうやって悶々としていた際に会社でプチ流行(?)の気配を見せていた「マリア様がみてる」の一巻を読んでいた時に以下のようなエピソードが印象に残ったのだった。

作中で、薔薇の館の住人たちが主人公の祐巳が演じるシンデレラに対して「祐巳ちゃんのコメディーみたいなシンデレラも好き」といった会話があり、彼女たちは完璧など求めてはおらず最初から祐巳のありのままの個性を許容していたことが祐巳の中で気づかされるシーンがある。

祐巳は今まで紅薔薇のつぼみである祥子に妹にならないかと持ちかけられても、地味で普通な自分には祥子の妹にふさわしくない、とずっと一人で思い悩んでいただけだったのだ。そこにずっとこだわっていたのは祐巳だったのだ。

 

この状況に関してほんの少しだけ祐巳の心境と近いものを感じ、「今自分と関わっている人たちのことは薔薇の館の住人のように思えばいいのでは……?」なんてことを考えてみたりした。

薔薇の館の住人と思うのは半ば無理やりな例もするけれど、今いる環境は今の自分をちゃんと許容してくれていて応援してもらえているのだから、尊敬の意を示しながら自分のやれることをやっていこうと思わされたのだった。

 

という感じです。マリみては面白かったので2巻以降も読んでいきたいと思います。

 

マリア様がみてる1 (集英社コバルト文庫)

マリア様がみてる1 (集英社コバルト文庫)