桐生あんずです

日常やプログラミングについて書いています。

12年間連れ添った実家の犬とお別れをした

正直まだ全く受け入れられないけれど、この感情を言語化するタイミングを逃したら更に引きずるように思えたので、今書き残すことにする。 (動物の死の話に言及した内容なので、そういった描写が苦手な方は非推奨の記事です)

今週の木曜の朝、起きると携帯に両親からの大量の着信があった。 「親戚の誰かが亡くなったのだろうか……」と不安に思いながら家族のLINEグループを開くとそこには水曜の深夜に実家の犬が亡くなったこと、近日中に火葬にするが大丈夫かという確認の連絡の内容だった。 文面を読んだ瞬間では頭の方は「そうか、もう12歳だったのだし確かにそうなるのはあり得ることだよな……」と冷静に受け入れようとする気持ちと、もうあの家族同然だと思っていた愛おしい生き物に会えないことを受け入れたくない自分の感情がせめぎ合って、その後すぐに父親に電話して事実を確認する内に我慢できずに嗚咽を出しながら大声で泣いていた。

その後も数分間隔で気付いたら涙が止まらない状態になってしまい、このまま仕事をしたとしてもまともな判断ができる自信がないと思い、いつも一緒に仕事している先輩に相談して会社を休む判断に倒すことにした。真剣に話を聞いてくれて対応してくれた先輩には本当に本当に感謝しきれない。 休む判断をした後は、両親と相談をして今日の夕方には近所のペット用火葬センターでお別れをすることを決めた。 実家への移動中も耐えきれず電車の中で何度も泣く人間になっていて、側から見たら情緒不安定の意味不明な人間なんだろうなと思ってしまったけどどうしようもなかった。そのような中で、会社の先輩が個人チャットで色々話を振ってくれて、すごく救われたことを強く覚えている。

実家に着いて犬の遺体と対面した。眠るように亡くなっていて、安らかな顔つきをしていたことに少し安堵した。ただ、亡くなった事実を受け入れるにはあまりにも辛くてまたここで嗚咽を上げて泣いてしまった。 火葬センターに向かう時、両親から亡くなった時の話を詳しく聞いた。父親が深夜に突然目が覚めて、犬の様子がおかしいことに気付き、母親も呼んで数分ほど見守っていると突然バタンと横に倒れ、そのまま眠るように息を引き取ったとのことだった。亡くなった後だから詳しくはわからないけれど、心臓の病気を抱えていたのかもしれない。 死の事実は辛いけれど、ちゃんと最期は両親に看取られ、長く苦しまずに逝ったのはせめてもの救いだったように思う。

火葬で最後のお別れをした時、その場を離れるのがどうしても辛くていつも触っていた頭や背中、前足や肉球を何回も撫でていた。感触はいつも通りなのに、体温が冷たいのがただただ悲しかった。それでもこの感触は一生忘れたくないと思いできるだけ撫で続けた。「今まで本当にありがとう、楽しかったよ」と最後家族みんなで言葉に出して見送った。 骨になった姿を見た時は、本当に死んでしまったんだなと改めて思わされた。家族みんなでゆっくり骨を拾って骨壷に入れた。その後骨壷を抱き抱えて実家に戻り、いつも犬がいた場所に置いた。その横には写真や好きだったぬいぐるみ、いつも食べていたお菓子を供え、翌朝以降も犬が好きだった食べ物を毎日供えることにした。

さすがに2日連続で休むわけにはいかない、と思い金曜はできるだけいつも通り出勤した。その最中何度も犬のことを思い出して泣いてしまったけれど、会社の人たちと話していると少し気が紛れて救われた。犬を可愛いと思ってくれた先輩も今回の話を伝えると一緒に悲しんでくれて、今まで遠隔で可愛がってくれてありがとうございましたとお礼の言葉を伝えた。

日中もずっと思い出すけれど、夜寝る前が一番寂しくなってしまう。12年という犬としては決して短くはない期間を生き抜くことができたんだ、と思えてもまさかあの時が最後の別れになると思っていなかった、もっとずっと一緒にいたかったと本音の感情が一気に流れ込んできて耐えられなくなってしまう。 実家に帰ってきてから2日連続で夜泣き続けていてさすがにこれはもうダメだとなり、昨日は高校生ぶりの両親の部屋で寝た。それでも母親が犬の話をどんどんしてくるので、何度か涙ぐんだけれどその前の夜よりかはダメージがなく入眠することができた。

そして今日に至り、関東に戻ることができたのでこの日記を書いている。 犬についての思い出の一部はちょうど一年半前にこの記事で書いていたのを思い出して読み返していた。

kiryuanzu.hatenablog.com

当時は素直に好きの感情を伝えるのが照れ臭くて自分としては淡白な表現でわりかし書いていたように思う。ちょうど大学を卒業して6年ぶりに両親と実家の犬との同居生活をしていた時だった。結局少し後に引っ越しが決まったので毎日顔を合わせていたのは半年間ほどの期間だったけれど、今思えば大人になってまた一緒に暮らすことができて本当に良かったと思う。きっとあの期間がなければ、更に後悔していたように思う。寂しいことには変わりないけれど。

親が突然「犬を飼おう!!!」と言い出してペットショップに行ったら小さい赤茶色のトイプードル4頭と一緒にやけにサイズが大きいアプリコット色のトイプードルがいた。 小さいトイプードル達より2~3万円ほど値下げされていて「小さい犬達はすぐに飼われていきそうだけれど、この少し大きい犬はこのまま売れ残ってしまうんじゃないか」と思ったのと他の犬達よりも色もサイズも違って存在感があって印象的だったのでその犬を実家に迎え入れることにしたのだった。

上記の記事では伏せていたけれど、実家の犬が家に来た理由の一つは、私が中学生の頃クラスにあまり馴染めず家族にもその兆候が伝わり家の雰囲気が暗くなっており、母親が家を明るくするために犬を飼おうと言い出したのがあった。 安く値下げされて、少し大きくなっていたけれど一番存在感があって可愛かったのを今でも覚えている。「このままだと売れ残ってしまうんじゃないか」と思って心配になった気持ちは確かにあったけれど、本当はそういうことじゃない。他の生き物とちょっと雰囲気が違って目立っていたあの犬が当時クラスに馴染めていなかった自分と重ねて仲間意識を無意識に感じていたのだと思う。犬には大変失礼な話だと思うけれど、一目見た時からこの犬に絶対に家に来て欲しいと直感で感じていた。 その頃好物だったシフォンケーキの色によく似ていて、「シフォン」という名前になった。ただちょっと呼びづらいので、雄だったけれど最後まで「シーちゃん」と呼ばれていた。

家に来てからはとにかく乱暴者で、餌を人の手からじゃないとほとんど食べようとしなかったり、気に入らないことをするとすぐに噛んだり、家をめちゃくちゃにしたりと躾はあまりできていない犬だったように思う。それでも何から何まで可愛かった。特に父親のことが大好きで朝4~5時頃に父親を起こしてそのあとは二度寝し、父が仕事から帰ってくると必ず大声で鳴き始める。あまりにも声が大きくて、リモート定例中に何度も私の会社の人たちから笑われていた。

私が実家に帰ってくると、必ず私の体に頭を擦り付けて歓迎してくれた。あのふわふわの毛並みとごつっとした頭が大好きだった。私が家を出るたびに「また帰ってくるからね」と挨拶の言葉をかけるけれど、犬はよくわからないのでただただ眠そうな顔でこちらを見ていて、ドアに手をかけると大声で鳴いて引き戻そうとするのが恒例の流れだった。 きっとしばらくはこういった犬の何気ない仕草を思い出しては泣いてしまうのだろう。思い出せることはまだまだたくさんある。

12年間本当にありがとう、と感謝を伝えて終わります。(犬はブログを読めないだろうけど、気持ちを念で伝えたいと思います) f:id:kiryuanzu:20211128212922j:plain