桐生あんずです

日常やプログラミングについて書いています。

今は悲しみと向き合う時期だと捉えている

ブログに書くべきか迷ったけど、最近あった出来事とそれらにまつわる感情はできる限り書き残しておきたいと思ったので書き残すことにした。
重たい話になるためあまりそういった文章を読みたくない方はブラウザバック推奨です。

起きたこと

7/17(木)に一つ歳上の従姉妹が亡くなったことを母親からの電話で知らされる。現実を受け止めきれないまま実家に帰省し、先週の7/22(火) に葬儀を終えて家に帰ってきた。

1週間半ほど経って今、日常生活には戻ってきたけれどあまり調子は完全に戻っていない感覚はある。
仕事やコミュニティなどで人前で話す時は気が紛れてはいるけども、寝る前や朝起きた瞬間などは虚無感に度々襲われる。ふとした風景を見るだけで従姉妹との思い出が脳裏に浮かんでくる。

従姉妹とは幼少期の頃から大人になるぐらいまでずっとゲームで遊ぶ関係性だった。子供の頃は一番仲の良い同性の友達だったともいえるかもしれない。毎年長期休みに入ると親族の集まりで従姉妹の家に遊びにいき、当時のトレンドだったゲームを深夜まで遊び尽くすというのが子供の頃の大きな楽しみの一つだった。
特に好きだったゲームはカービィドラクエシリーズで、何作もクリアするまで寝ずに進めた思い出がある。カービィ64でクリスタルのかけらを全部集めてゼロツー戦に何度も負けたことや、ドラクエ9 でオフラインマルチプレイを駆使してラスボスまで介護してもらったのをよく覚えている……。カービィのエアライドのシティトライアルも何十時間やっていたのではないか。今年新作出るのになあ。
従姉妹は絵を描くのが本当に上手だった。ゲームも自分よりずっと上手く、自分がクリアできない面は代わりにやってもらったのをよく覚えている。絵とゲームという、オタクキッズであれば条件反射で尊敬してしまうスキルを兼ね揃えていた人だった。
だんだん歳を重ねるにつれ、趣味の系統も別れていくようになって子供時代のような熱量でゲームを遊ぶことはなくなってしまった。自分としてもゲーム以外の趣味や遊びを覚えるようになっていたので、そういうものだろうという納得感もなんとなくあった。それでも、親戚の集まりで会うことがあればずっと話が止まらない関係性だった。
近年は集まりがなく話す機会がなかったけれど、近いうちに何らかの集まりで会うことはあって最近のゲームについての話とかをするんだろうなと当たり前のように信じ込んでいた。

しかし、その当たり前はやってこず、話す機会は永遠に失われてしまった。その事実がまだ頭に追いついていない感覚がある。

もう一つ自分の心に影を落とした出来事がある。自分より上の世代である自身の両親や、従姉妹の両親である叔父叔母たちや母方の祖母たちがあまりにも悲しんでいた姿を目にしたことだった。
自分ももちろん悲しい。ただ、彼らからしたら産まれた頃から育み続けた対象の喪失という想像もできない出来事であり、この世にこんな苦しい出来事が存在するのかという衝撃があった。子供がいない自分でもそれが本当に苦しいことは伝わってくる。

今まで当たり前だと思っていたものは本当は当たり前にあるわけじゃないと分かってしまった感覚に襲われたのだった。実家にいる時はできる限り両親との時間を大事にするように努めた。今後もそうしていこうと思っている。

今は悲しみと向き合う時期だと捉えている

今感じていることを一通り書いてみたけど、ふとした時にまだ色々と思い出してしまう気がしている。
とても悲しい出来事を経た上で、家に戻ってきて今までずっと当たり前にやってきていた生活をまた始めている。そうするしかないんだけど不思議な感覚がある。やっと落ち着いてきたような気もするけど、ふとした時の虚無感は張り付いているような気もする。とにかく気を紛らわしながらやっていくしかない。
ただ、じっと耐えているのも何か違う気はしていて近い経験をした親しい友人と話すことや、グリーフケアの本を読んでみたりしてみても良いのではないかと思っている。

8月にはお盆もあるのでそこでまた線香を上げにいくことになる。まだまだ思い出すだろうけど、それも受け入れてやっていくしかないだろう。