桐生あんずです

京都在住大学生のブログです

春休みが始まっている

つい数週間前から春休みが始まっている。

最近Twitter以外で文章を書こうという気分になってきたので、自然とこちらのブログでも何か書こうかなという気持ちが高まってきて書き出してみた。
とりあえず最近あった事を述べていきます。

・キンプリを2回観た
たぶん人生で初めて、同じ映画を観るために映画館に2度足を運んだ。まだまだ見足りない部分が多いのであと1.2回ぐらい観たい。できるなら無限に観たい。明日も応援上映会がTジョイ京都であるらしいので観ます。サイリウム買えば良いんですか。3000円ぐらいは出さなきゃなんでしょうか。
2回目はプリリズをまだ見た事のない初見の友達と観たんですが「カロリー指数が高い映画だね」だと評していた。分かる。
でもプリリズを見てる側だとなぜか初めから泣き笑いしながら見る羽目になる。意味わからんけど本当に泣き笑いしてしまう。あと、タイガくん可愛い〜〜ああいうシコれる系キャラ本当に良い。でもシン君から感じるプリズムの煌めきにトキメキを感じずにはいられない。
明日の応援上映会がとにかく楽しみすぎるのでちゃんと体調整えます。どんな異空間が広がってるのか気になる。

・充光館でプリリズDMF鑑賞会した
プリリズネタで続けます。
今回自分は途中参加でしたが、サークルの方が学内のシアターでプリリズ上映会を開いてくださったので喜んで見に行きました。
DMFはグレイトフルシンフォニアが意味わからんと何度も言われてるんですが、やっぱり分からん。言語化して解釈をしていくよりも、心で感じ取るべき作品なんだと思います。
でも、線画の演出はすごく好きです。その後色が戻っていくのが本当良い。
あと、大久保瑠美さんの声どっかで聞いたなぁと思ったらエリーザベトバートリーでした。なるほど。あの子も、いっちばーんとかみあみたいなこと言い出すので驚く。

・東京行ってた
伊丹さんの個展を見に東京に一泊二日してきました。1人で東京歩き回る時間が取れたのはちょうど2014年冬のコミケの時以来だったので久々に自由に回れて楽しかったです。
高校の友達と会って新宿で服や化粧品見たりして、ANNA SUIの口紅買ったりしました。
真っ赤な色の口紅なので、大人っぽく見えるねって言ってくれる人もいるんですが、わざわざアピールして言うと「口から血が流れているね」とか意味わからん事を言い出す人もいる。
似合うかどうかは分からんけどサブカルおばさんの一歩を踏み出したことは明らかなのではないのでしょうか。

あと夜ご飯はなんだかんだで長い付き合いをしているネトゲの友達の人たちに会ってきました。黒龍呑ませてもらいました。やったね。
話を聞いてると彼らは私と同じくらいだった時に明らかにダメな方の大学生活を送っていたっぽいんですが、普通にちゃんとした収入を得られる社会人になっていて、ちゃんとしたご飯食べたり旅行しているんだよなぁ。すごい。本人が言うにはコミュ力によるものだとか。でも新しいネトゲが始まる時に退職してネトゲしまくりながら転職活動するとか言ってて大丈夫なんだろうかと思った。でもたぶん大丈夫なんだろうな。

そんな感じで1日目は行きたいところにも行けて会いたい人にも会えたので2日目は満を持して伊丹さんの個展を見に行けました。
銀座の奥野ビルに初めて足を運びました。あんまりよく分からない人たちの個展も色々やってたの伊丹さんの個展に行く前にうろうろしてたら、管理人の人が「ここはノルウェーの森の後半のシーンの撮影してたんだよ」と教えてくれました。

「あの時はいっぱい人がきて大変だったのよ〜。ほら、ラストシーンでワタナベが一階のポストの前でね、ミドリちゃんに喋ってるじゃない。『ボクは今どこにいるか分からないんだ』って…」
どこって奥野ビルの一階やんけ。(多分そういう意味ではない)
というかそんなシーンがあったことすら覚えてなかったのでもう一回見直す事を考えた。

当時はよく意味を理解しないまま観ていて、さらには一緒に観ていた親にアパートでのセックスシーンを飛ばされるわで、4割くらい松山ケンイチのイメージビデオを見てる気持ちで観てました。

その後やっぱりよく分からない写真家のおじさんと話した後(めんどいので内容は省く 奥多摩の話を適当にしてた気がする)、伊丹さんの個展についに到着する事ができました。

他の個展とはかなり雰囲気が違っていてびっくりしました。他の個展は絵が5.6枚大きな額縁に入れられてぶら下がっているだけなのに、伊丹さんの部屋は絵が一面張り尽くされていて、並んでいる机にはクロッキーが何十冊も展示されていたんです。まさに伊丹さんの世界がその部屋に造られていました。
最初は絵に目を取られてばかりでしたが、机に置いてあったクロッキーを一心不乱に読んでいてしまいました。私の他に個展に来ていた方も、同じように絵に釘付けになっていたり、真剣にクロッキーに目を通していました。
しばらくすると、伊丹さん登場。その日の伊丹さんは島村卯月の髪型をして「島村卯月、17歳です」と台詞を呟きながらやってきました。
今回伊丹さんの素敵な自撮りを何度もTwitterで見ていたからなのか、「伊丹さんに会えたら、一緒に写真を撮りたい…」という気持ちが湧いてきて会ってすぐに一緒に写真を撮ってもらってもいいかお願いをしました。そして快く承諾してくださり無事写真を一緒に撮る事ができました。良かった。
その後もしばらく個展の中で絵やクロッキーを眺めながら不思議な時間を過ごしていましたが話すと長くなるので割愛。でも、本当に素敵な時間でした。

その後は伊丹さんのお知り合いの方たちと銀座駅に行くために道に迷ったり救急車に轢かれそうになりながらも無事に駅に着き、その後は東京駅まで行き新幹線に乗って長野へ帰る事ができました。
良い東京旅行になったと思います。友人に「また夏頃においで」と言われたので今年はもう一度行きたいと思いますが、はてさてどうなるだろうか…。

とりあえず春休み前半であった大きな事は主にこのような出来事たちでした。
今回はあんまり文章構成を気にせず書いてみましたが好きな事を書けている感じで楽しかったです。それではおやすみなさい。

龍潜祭に行ってきた


昨日は京都精華大の学園祭に足を運んだ。

色々やった事があったのだが、一つ一つ列挙していくと書き切れないので写真中心に紹介していく。

・ともチケを生パキしまくった
京都精華大、さすが美大という事もあってサブカルチャーに造詣が深い人々が多い模様であり、プリパラのキャラクターのコスプレをしている人も見当たられた。
また、今回学園祭に足を運んだ理由も以前からプリパラがきっかけで仲良くなった方々に会いたかったからなのであり、その方々とも無事ともチケ交換する事が出来た。
そして、なんと、ともチケ交換ボードを自作されていた。
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首にかける事で「歩くともチケ交換ボード」になる事ができる。すごい発明や。

また詳しく書き記すが、アニソンDJクラブイベント「オタメロ」に参加した最中も、ともチケ交換ボードに気付いてくださった方がパキッてくださった。良い話だ。
そのような幾つかの出来事があり、色々な方とともチケ交換する事が出来たので本当に楽しかった。プリパラする時にまた使いたい。

・アニソンDJクラブイベント「オタメロ」に参加した。
初めてアニクラに参加した。
大学のキャンパス内のライブハウスという事もあって、アットホームであり、みんな気楽に楽しんでいて良い雰囲気だった。
アニメソングばかりかと思いきや、嵐の曲も流れたり粉雪が流れたりとバリエーション豊富だった。
昔のアニソンからつい最近のものまで流れていて、バッチリテンションが上がるプログラムを組んでいて良いなぁと思った。

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ここでもやっぱりキルミーベイベーがネタにされていた。

多分この時期に行われている、全国中の文化祭でキルミーベイベーがネタにされている気がする。(自分の大学でもネタにされていたし)

・出店を回ってきた
出店では、みたらしドッグ、韓国人留学生の方々が調理してくださったチヂミ、100円で値切られていたラーメンなど色々食べてきた。
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みたらしドッグ、ステッカーがとても可愛らしくて2回も立ち寄ってしまった。
味も中がモチモチしていてハマる味だった。

出店を回る最中、コスプレをしてる方を何十人も見かけてさすが美大だと感じた。逆にコスプレしていない人が珍しく感じられるんじゃないかと思わせる数で、自分の大学の空気の差をひしひしと感じた。
(自分の大学の学祭はコスプレサークルぐらいしかコスプレしておらず、たぶん奇異な目で見られるぐらいの少なさだった。だからこそ自己顕示欲を増幅させるのかもしれないけど。)

また、ガーリッシュなステッカーやポストカードを出店している人達がいて、50円のジュースを買うとメイドさんの格好をした女の子たちが集まってきて「おいしくなぁ〜れ❤️」の魔法をかける儀式をしていたのを見てしまい、まさに女性性が売られていると感じた。
あの50円は女性性なんだろうか。


また、なかなか凄い売り物を発見した。
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※念のためモザイク処理はしています。

男根飴だ。男根妄執症のフォロワーさんがとても興味を示しそうなものだと感じた。
ディルドーなどをそのまま使ったわけではなく、手製で練っていたものでありプロ根性を強く感じさせられた。
売ってる方からは「合法的に舐める事ができますよ」と何度も宣伝されたが、値段が高かったため私も同行している方たちも買うのは断念した。
だが、綺麗に形作られていて職人魂の篭った作品だと思う。


とりあえず写真アルバムに入ってあった学園祭に関する話はこれぐらいです。

戦利品も載っけたいのですがそこまで書く気力がない。。(もう眠い)

でも、プリパラ界隈の方々が中心となって作られたキノフェアちゃんアンソロジー「シカをいじめてはいけない。」は寄稿した方々の人格がとても現れていて個人的には凄く良い同人誌だなぁと思った。何度も読み返してしまっている。

また、今回購入させていただいた「CREATORS AT WORK」も、創作を行っている方たちの内面を垣間見る事ができるとても興味深い本だった。

やはり他大学の学園祭に足を運んでみると新鮮な体験が沢山出来てとても楽しい時間となった。
もし可能なら、清華大で行われるイベントにまた行けるようにしたい。


高校時代のことを夢に見てしまった

今週はずっと体調が優れなかった。しかも、1日に4〜5時間の睡眠を複数回繰り返して深夜に寝れなくなるというパターンに陥ってしまい生活リズムも狂ってしまいとても困った。
その中で眠るたび何度も夢を見ていたのだが、体調の悪さにも影響してくるのか悪夢ばかり見てしまい、起きたら汗だくになっていてタチの悪い頭痛が残っているような状態になる事ばかりだった。

今日は、やっと体調が良くなり始めたからか先ほど寝たときは夢自体はさほどキツいものではなかったのだが内容としては起きた際に気分的に寂しさが募るようなもので30分ほどなんとも言えないような気持ちになっていた。

さて、どんな夢を見たかというと(夢を見てから2時間ほど経ってしまったため明確にはもう思い出せないが)、高校時代の親友的存在だった女の子が自分の大学にいる友達や先輩と一緒になって自分と遊んでいる夢だった。

現実だったらそんな事有り得ないのだが、親友は高校時代のマイペースさは顕在のままで、大学の友人たちと溶け込んでいて普通に旅行していて私も違和感を感じず過ごしていたため、目を覚ましたときには「あっ…」と声が溢れてしまうほどこっちが現実だと視認するのが多少辛くなる程度には戸惑いを感じてしまった。

ここまで感情を突き動かされてしまったのは、結局の所、物理的に離れた場所に身を置くようになっても彼女に対して私は依存的な感情を抱いていたままだったのかもしれない。

その親友の事をもっと詳しく話そう。
彼女と知り合ったのは中学時代の頃だった。その時は別のクラスだったが私の当時の友人と同じ部活だったよしみもあり、また帰り道が同じだった事から何度か一緒に帰る事があった。
ただ、当時の私はかなりの人見知りで彼女に対して完全に心を開ききれておらず、その上で彼女の少しハッキリとした物言いがあまり好きではなく、多少の苦手意識を持ちながら関わっていた。

だが、彼女に対しての意識が明確に変わったのは高校受験の時だった。同じ高校を受けたため受験会場も一緒で、中学時代同様に帰り道が同じなため2人で帰る事になったのだ。
その時の話題自体は大体は取り留めもないものばかりでそこまで覚えていないのだが、明確に覚えている事が幾つかある。
まだあまり歩いた事がないような道だったせいで私達は迷ってしまった。
そこで、なぜか私達は、一駅分の道を歩くために民家の塀を登ろうとしたり線路のすぐ横を歩いたりするなど謎の経路を駆使して駅まで辿り着いた。
その時にした会話は覚えてはいないけれど、彼女のマイペースすぎる行動に呆れ始めた私は、普段は絶対人に対して言わないような暴言染みたツッコミを何度も言い放ってしまった。
彼女はそういった返しは慣れっこな模様で、それでも何の話題にでも反応してくれる私が面白かったらしく、「⚪︎⚪︎って、電池入れたての元気なおもちゃみたいな反応してくれるね」と謎の評価を頂いてしまった。
そんなこんなで、私はやっと彼女に心を開くことができた。
そして晴れて2人とも高校にも合格したのだが、エスカレーター式の閉鎖された環境のような中学から抜け出した結果、新しいクラスに馴染めなかった私達が2011年の春にそこにいた。

高校1年生の時はお互い別のクラスだった。だが私も彼女も、多少クラスの友達は出来ても完全に馴染むことを躊躇い居心地の悪い立ち位置をクラスの中で築き上げていた。
だからこそ、2人きり(時たま、同じ部活の子も絡んできてくれたけど)の傷の舐め合いが始まってしまった。
最初はクラスで適当な友達とお弁当を食べていた私達だったが、段々空気に耐えられなくなり始め散らばり、気付いたら図書館の前にあるベンチで、ストーブも付かずしかも風通しもかなり良いスペースの中2人で長野の凍えるような冬の冷気に震えながら膝掛けをしてお弁当を食べていた。
そんな私達を労ってくれた図書館の先生が冷え切った空気が入ってこないようにバリケードのようなものを置いてくれたこともあった。

そこでは、当時流行っていたアニメの話題(はがないだったり、まどマギだったり)から、「あのクラスが嫌いだ、自分の居場所なんてない」だとか愚痴をこぼしまくる彼女の話を聞いたり、私が当時仲悪かった同じクラスの生徒副会長のヘイトを彼女にぶちまけたりとクラスの底辺カーストにすら所在出来ているのかわからない話題を昼の1時間毎日していた。

女の子らしく恋愛の話もしたことがあったが、彼女がクラスの中で数少なく自分に優しくしてくれる男の子の事を好きになりおまじないをするために机に落ちている髪の毛を採取し始めたとかそういう話ばかりだった。
(最終的にバレンタインにブラウニーを作ってあげたが玉砕してしまい泣いていた所を見たのは覚えている。そのブラウニーの隠し味に何を入れたのかはもう覚えていない。)

そういった根暗な事を繰り返しているうちに、コンプレックスやら哲学をどんどんと募らせ、図書館の中で「人は死んだらどうなるか」の議題を2人でマジ喧嘩口調になりながら議論していた所うるさくて先生に怒られたり、
帰り道に建物の窓に映る自分達の姿を見て、
「私達はクラスにいるようなキラキラした子にはなれないよね…ほら。(窓に映る自分達の姿を見ながら)」と、
彼女が言い放って私がもうなんとも言えない気分になったりと鬱屈した1年間をなんとなく過ごしていた。
その1年間の間で、「⚪︎⚪︎(私の名前)は私の親友だもん」と何回も彼女は私に対して言ってくれ、表面上は恥ずかしくて素っ気なく「まぁそうだね」と返すばかりだったが、中学時代の友人達よりもずっと信頼もできて気楽に話せる相手だった。
今だから美化されたように語れるがこの一年の間は何度も喧嘩したり、本気でなんなんだこいつはとお互い思う時が何度もあり衝突してしまう事も多かった。
だが、最終的にはやっぱり気楽に話せる友達がいなくなるのが嫌なのでお互いメールだか会った時にすんなり謝って仲直りしていた。

それから高2になってからは私達のことを心配してくれた自分や彼女のクラス担任の先生が私達2人を同じクラスに配置してくれ、小学校時代何度も遊んでいた友達にも再会する事ができ、なんとなく5.6人ほどのグループを作り上げてクラスに居場所も生まれ高1の時よりは健やかに過ごせていたはずだった…が
親友が恋愛の方でトラブルを起こし不登校になり危うく卒業できなくなりそうになるなど、問題もあった。
それでも、私が毎日LINEを送り続け学校に行けと論理的に説得したところ、
2人ともちゃんと卒業することができ、私は念願だった関西の大学に進学し彼女は県の短期大学へと進んだ。

これで青春の思い出を語り尽くし2人とも新生活を楽しく過ごしています…めでたしめでたしといかないのが物悲しさかな、と思う。

大学に入った当初、「あーやっと気楽に勉強して過ごせるなぁ、これでもうあの子の面倒を見なくて済むし」と思っていた私だったが、なぜか思うように様々なことに対して身に力が入らなかった。(「なぜか」とぼかしてはいても明確な理由は頭の中で何個か思いつくがそれはここでは書きたくない)

それは彼女も同様だったらしい。彼女は高3になってからは私や友人に促されて学校に行くのがほとんどだったため、そのクセが抜けずしかも交友関係の狭い短期大学の環境に耐えられず1年間で学校に行かなくなってしまった。

結局私は、彼女に対して「学校に行け」と言いながら、それで成績も多少上の方に保たなければ示しがつかないと思いある程度学業も頑張れていたのだろうし、
彼女も私のような「学校に行け」と言いいつも一緒にいられる存在がいたからなんだかんだで学校に行ってある程度社会的な生活を送ることが出来ていたのではないかと今になってふと思ってしまう。

実際のところ、お互いを社会的に生かすための共依存の関係性だったのだ。

私がそれを自覚したのは去年の6月ごろで、彼女はもっと早く気付いていたようで「学校に⚪︎⚪︎(私)のような存在がいてほしい」と私に対して独白してきた。

「⚪︎⚪︎のような存在」という所がミソだなぁと思う。私も、全く同じことを考えていたからだ。
でも同じくらい倫理を語り尽くしたりお互い自分達の恋愛話を気遣いなく惚気られるような相手は中々見つからないだろうし、見つけられていたとしても「彼女のような存在」とは思えないんじゃないだろうかと思う。

今の所、私は単位は取れてないせいで留年の危機が迫ってきて頭が痛い状況だし、彼女は短大を休学して様相がよくわからない駅前のゲーセンでバイトしながら10個上ぐらいの男に猫みたいに飼われるような生活を送っている。
多少心配だが、その男性も彼女を社会的に自立させようと取り組んではくれている模様なのでまだ大丈夫ではないかとは思う。

高校時代に比べれば、お互いかなり状況は変わってしまったなぁと思うがまだ20歳なのである。まだまだ色んなことがありそうだ。

とりあえずはお互い成人式で会えたら良いけど…LINEかTwitterで成人式に来いと一言ぐらいは言っておくべきなんだろうか。

日暮キノコ「モンクロチョウ」雑感

先日「モンクロチョウ」という漫画を急にお勧めされたので読んでみました。
1話は試し読みできるのでそれを読めば雰囲気は分かるかと…。


以下ネタバレがほとんどなので注意です。





簡単に言うと青春こじらせ物でした。
内面はコンプレックス塗れなのに、わざわざクラスカースト上位に表面上溶け込んで無理に擬態しようとする男の子が主人公の話。
彼は途中でサブカル寄りの漫画家志望の男の子と仲良くなるんですが、そこで一緒にサブカル趣味に結構のめり込んでて、
本当はオタク気質なのに、下に見られるのはイヤだから上位の男の子達と表面上仲良くしてカースト上位に地位を保ってたんだなぁと思うと個人的にめっちゃ辛くなった。
んで、そのサブカル趣味にのめり込むのも、男の子と2人だけの世界を築く時もカースト上位の男の子たちに対して『お前らには⚪︎⚪︎君との友情は分からない!』とか心の中で言ってて、根本的に「お前らとは違うんだ」という自分が特別だと思い込む系コンプレックスを拗らせてるんだろうなぁと感じてしまって更に辛くなる。

それはともかく本筋のストーリーは、彼は幼馴染みの女の子がいて、その子は可愛いんだけどデブでちょっと気弱な女の子だから昔からいじめられてて、主人公が唯一絶対的に『見下せる存在』だった。
でも、小4のある日下校中その女の子がすっ転んで生理パンツを装着してるのを主人公が発見してしまい「自分の知らない世界(大人の世界)へ行こうとしている」と恐怖した主人公が逃げ出す所から場面は始まります。文字にするとヤバいですねこれ。
そのような幼少体験からも、女の子への恐怖と周りと自分を比べてしまうコンプレックスに囚われた主人公ですが、そこから何をするのかと言うと、

1話でカラオケ合コンした際に出会った清楚系ビッチにフェラ未遂されて、2、3話で経験済みだと発覚した幼馴染みとセックスして童貞卒業してしまい一気に大人の階段を登ってしまいます。

彼はこの経験により間違った方向に覚醒してしまい清楚系ビッチを見事に都合のいいセフレにします。
それで一時の満足感を得ても、他の友達は結局自分よりも一枚も二枚も上手の経験をしている事が発覚して更にコンプレックスを募らせて人間関係をこじらせていくみたいなのがこの漫画のメインストーリーみたいな感じです。

この主人公、所謂成長しない系主人公で見てて時折本当にキツくなることがあって、最終巻の幼馴染みと感情を吐露し合うシーンでも最初の時と言ってる事がほとんど変わらなくてびっくりしました。
だからこそイメチェンして美少女になってしまった幼馴染みの心を治癒させる存在と最終的になったんでしょうけど。

いつまでも変わる事ができない、変わりたくないと泣く主人公に対して母性を感じる事で荒んだ心を癒す結果になったような。
でも、女の子って残酷なもので昔は主人公のような男の子に対して憧れや好意を持っていたとしても普通に他に良い相手がいたらすぐに乗り換えてその人を憧れの対象に切り替えてるんですよね。
だから、主人公にとって幼馴染みが全てだったとしても、幼馴染みからすれば主人公はもう過去の人のような立ち位置で、今更「俺はお前しかいない」みたいな事を言われてもどうしようもないんですよね。
だからこそ、どうしようもない母性を感じて、また昔の自分を思い返すことができてどんどん変わっていこうとする自分を止められたんじゃないかと。

よくラブコメ青春ものでヒロインが「ずっと昔から幼馴染み君のことが好きだった…」みたいなシーンありますけどあれは本当にファンタジーの類だと思ってます。
たとえそういう事言う女が実際いても絶対再開する間や距離が縮まる前に必ず数人には目移りしてます。(幼馴染み物ラブコメが好きな人すみません)

また、主人公のセフレになってしまった清楚系ビッチの女の子も見ててほんま辛かった。むしろこっちの子の方が見てて辛かった。
清楚系ビッチに見せかけて、この子も実は主人公と同じくらいコンプレックスを抱え込んだリア充グループに擬態して自分をごまかすこじらせ女子でした。
初体験の相手は都合の良い大人の男ってのが妙にリアルなんですよね。
初体験の相手への気持ちを捨てて、他の男に切り替えても心の隙間を満たす手段がセックスになってしまい、やっと自分と同族を見つけて好きになっても心の隙間を満たすためにセックスしまくるのがエロいんですが承認欲求に溺れてるんだなあというのがひしひし伝わって悲しくなりました。
彼女もラストではいちはやく社会人になっていたので落ち着いていくんだろうなあと思うんですが、心の隙間を埋めきれなくて上司と不倫に走ってそうな展開もありえるからコワイ。

適当にシーンや登場人物について思う事を書き綴ってきましたが、
こういったこじらせ漫画を度々読んでて思うんですが、最終的に明確な答えが分かりにくいんですよね。
久保ミツロウの「モテキ」だったとしたら、「自分から意識的に進むことができなければモテなんて概念ありえないんだよ」といったメッセージ性を最後残してました。
そういったコンプレックスから解き放たれて「自分を変える」ということがテーマになっている作品も度々見るんですが、実際誰かに一度指摘されたり何か行動をしただけじゃ「ハイ!自分の内面変わりました!人間関係も自分の地位も全部うまくいって終わりっ!」みたいなんていかないもんです。

モンクロチョウは、締めとしては「高校を卒業して、大学生としての生活を楽しんで幼馴染みから距離的にも離れたことから依存もやめてコンプレックスも多少収まり自分の道を歩き出す」といった物でした。(感想を見て回っていると結局主人公は幼馴染みへの依存を止められてないんじゃない?なんて意見も見ますが私は幼馴染みへの依存はやめられたんじゃないかと思ってます)

こういう漫画に見られるのは、主人公の内面変化を描くスピードが最後はかなり速くなって、「時間を経て大人になったので落ち着きました」のパターンが高校生や大学生が主人公の場合多いなぁと思いました。
青春をテーマにしてるからそうなるのも仕方ないんだけど、明確にこじらせを終わらせる瞬間って結局本人にしか見当つかないし、変化が分かりにくいんですよね。
描けたとしてもキミなんとなく、ちょっとサッパリしたよね程度。
だからどうしても初めは登場人物たちがコンプレックスに囚われまくってて面白いのに後味はよくわからない終わり方の話が最近は量産されてる気がします。

そもそも「こじらせ」ってなんなんだよ?となってくるんですが二村ヒトシの言葉を借りるとナルシシズムと自己受容のバランスがうまく取れてない心理状態かなと最近考えてます。

自己の中には「好きな自分」と「嫌いな自分」がいて、「好きな自分」をずっと見ていたくて「嫌いな自分」を受容しきれない心理状態がこじらせを生み出してどんどん自分に合わない行動を取り空回りな行動をしたり、やりたいことができなくなってしまうんじゃないかと。
(これに関しては説明するのに自分にとってかなりの労力が必要な気がするので別の機会でもっと詳しく書きます。)

とりあえずモンクロチョウはこじらせ漫画としては私的には面白い方でした。全3巻だから読みやすいのもいいですね。(二桁冊数ある漫画があまり読めない人の感想)



宝塚初観劇

先輩と宝塚の公演を観てきた話です。

宝塚歌劇団は初めて観に行ったのですが、多少TVで観たりCMで存在を知っていたと言えども、生で観なければ体感できないものが沢山ある素晴らしいミュージカルでした。

観に行った公演は「GUYS AND DOLLS」という1948年のブロードウェイの裏町が舞台になっているコメディ色の強いミュージカルでした。
パンフレットの情報を見る限り、元は海外のミュージカルで、宝塚なりにアレンジされたものになっているようです。
ストーリーについての感想を述べておくと、(Twitterで言ったこととほぼまんまですが)世界観は時代設定が1948年ということもあり、旧来のジェンダー観に組み敷かれていて、話筋としては男役が主体的に動く場面が多く、その男役達に女役が惹かれてストーリーが展開していくという構成だったのですが、最終的には男役は女性のある選択肢を承諾し従う形でストーリーは終わるという少し観点を変えれば性別による立場の逆転劇として描かれています。(それを女性達が全てやっているのが宝塚だからこそできる良さだと思います)
女性達の決意を表すシーンはコミカルでありながらも今までの抑圧を解き放つ現れを示していて、感動的でもありました。
ただ、惜しいのは男性達がその女性達の決意をどう受け入れたのかが分かりにくく、最後のシーンを見る限り割とあっさり受け入れてしまったように見えるのでそこをもう少し描いたら更にストーリーの厚みが出るのではないかと個人的に感じました。

ですが、歌のシーンはどこをとっても素晴らしいものばかりでした。
とにかくハモりが素晴らしいんですよね。また、演技を意識しながら歌ってるのが分かりやすいので話の飲み込みも大変しやすい。例えば、ハヴァナでサラが酔っ払ってしまいスカイに対しての愛の独白をする際に、声からして酔っ払ってる雰囲気が伝わってきたのですが、それでも美しい歌声を維持していてプロだなぁと思いました。
あと、宝塚の人達はとにかく発声が素晴らしいですね。
開始の際にスカイ役の北翔海莉さんがアナウンスをしてくださったのですが、もうそこから宝塚の公演が始まるのを感じるというか、最初から綺麗な声の張り方をしていて魅力を感じました。

歌のシーンに関しては、男役達がハモりながら歌う「運命よ、今夜は女神らしく」が技術的に一番感動させられました。拍手もダイジェスト前であったらここが一番大きかった気がします。
女性のアルトボイスは、才能があってこそのものであると思いますし、彼女達はその与えられた才能を使いこなしてしました。聴いていて耳が快感を覚えるレベルです。

また、ストーリーが終わった後演者さん達がダイジェストとして続々と登場し、歌ってくださるのですが、正直言ってここが一番感動しました。「こんな美しい場にどうしていられるんだろう…」と思ってずっと耳を傾けて視線を彼女達に向けていたのですが、気付いたら涙が出てました。
何度も行ってる先輩も、初めて来た時にダイジェストの部分で泣くのは仕方ないと言っていて、ここは本当に恐ろしい世界だと感じさせられました。

本当に良いミュージカルでした…まさに沼のようなコンテンツだと思いますし、この感動は何度も味わいたいと思わされる初観劇でした。

ラーメン自助行為

まずは昨日今日の日常の話から。
昨日今日でサークルの人が幹事をするキャンプのため滋賀の方に行っていた。

JRで木之本駅まで行き、平和堂で買い出しをし、送迎バスでキャンプ場へ向かい、一泊した後、午前にまた電車で帰るという行程だったのだが、
シルバーウィーク最終日なはずが電車の中も空いていて、移動時間もそこまでかからなかったので疲労感も感じず気楽だった。(久々に会う人達ばかりだったから話が進んで体感時間が気にならなかったというのもあるが

木之本駅に着いてからは平和堂で数十分買い出しをした後送迎バスで向かった。(ここではあまり居られる時間が少なくて最後バスの時間になった時ちょっと焦った。)

キャンプといっても、一軒家のようなコテージの中に寝具やテーブル、冷蔵庫も置いてあり外にBBQのための道具や台が置いてあるという、とても快適な環境だったと思う。
着いてからは、もう夕方になる時間だったのですぐに準備を進めて肉や野菜を焼き、飲みながら楽しく話すというごく一般の楽しいBBQを行っていた。
その後も起きている人でトランプをしていたり、しけった花火を高速で回して全部使ったり、夜だからできる話をして、寝た後朝に帰ってきた。


人の個人的な事情や内面をネットで晒すのはさすがにしたくないため、そういった話は全て伏せるが、このサークルは酔っ払うと普通の他人には言いにくい内面や思いの丈を明かしてしまう空気を毎回飲み会の場で生成している気がする。

それは、悪い事でもないとは思うし普段抑圧された感情を吐露して満足感が得られる場を会得できるならこのサークルが存在する意味合いは多少あるとは思う。
そういったある意味での自助行為的なサークルは、東京や関西でTwitterアカウントとしても活動している当事者研究を行っている幾つかのサークルの事を時折感じさせられるのだが、実際そういったメタ的なサークルよりかは、目的問わず考えや境遇が似通った人々が集まるサークルの方が抑圧された感情の吐露をしやすいのは当たり前な事でもあると思う。
それは私が活動がメタ的になりすぎると、『みんな似たような辛さを持っているんだ』という認識が付いてしまい、敢えて自分のエピソードを全て吐露しなくて良いんじゃないかと思ってしまうのと、
そういった目的を持ったサークルだと日常的な話をしにくくて普段の自分も出しにくいというかなり個人的な感覚なのであまり当てにはして欲しくないが。
勿論前述した当事者研究サークルの方が話しやすい人もいると思う。

もうそれは、「傷の舐め合い」的なコミュニケーションではあるんだけど、どんどんそれをやっていくと励まし合うとか共感の意思を期待せずにただ話を聞いてほしいという「傷の晒し合い」のコミュニケーションに移行している気もする。(客観的に見たら、このコミュニケーションやコミュニティを「イタい」みたいに思う人は必ずいると思うが、実際は当事者が満足すればそれはそれで良いと思う。)

まぁ、そういった自助行為関係なく、旅行やBBQといった所謂ベタなレクリエーションを行うのは日常で溜まった鬱憤を解消するものになるし良い事なんですよね。
また、このサークルはそういった活動をあまり会ったことがない人達であったとしても割とやれているので、そういった意味でも良い場ではあると思う。

だからといってこのサークルを特別視するわけではないけど、そういった気楽に感情を吐露できたりコミュニケーションができる場を誰しもが一つ以上作っておくのは日常生活の中でストレスを溜めずに生きられる手段の一つになるのではないかなあと感じる。

宣伝のような言い方になってしまうが、
この文章を読んで、そういった場が欲しいけど自分にはまだ見当たらない、また
そういった場を欲しい、一度体験してみたいと感じたは自分に声をかけてくださるか@ramenritsumeiにDMを送ってみてください。月に1.2度活動は適当にやってます。(書いてて思ったがこれめっちゃ胡散臭い宣伝に見えて辛い、普通に話がしたい人やラーメン食べたい人でも全然大丈夫です、さすがに新興宗教とかじゃないんで、ほんと)
表向きはラーメンサークルですが。(表裏関係なくラーメンサークルかもしれないが)

タイトルにラーメンサークルと書いたがラーメンの話を全くしてない。先輩方すみません。

小5の時に「NHKにようこそ!」を読んだ話

今週のお題「人生に影響を与えた1冊」


はてなにお題を出してその記事を書くとかいう企画があったので試しにやってみる。ほんの暇つぶしなのでそんな長ったらしく書きません。

あと本の話といっても評論でもなんでもない、本とミックスさせた自分語りのようなものですので評論とかそういったものを期待している方はあんまり見ない方がいいです。

「人生に影響を与えた一冊」ということですが、⚪︎⚪︎歳の時に何の本を読んだか、と過去を思い返すと、一番印象的なのは小5の時に滝本竜彦の「NHKにようこそ!」を読んだ事なのでは、となった。

あの時なぜか書店で本を物色していた際、角川のオススメの文庫集だかで、筒井康隆(余談だが、年齢を調べたら80歳だった)の「時をかける少女」が目に入り、その横に「NHKにようこそ!」があった。

その本に関して予備知識は全くなかったのだが、キャッチーなタイトルと表紙絵の可愛らしい岬ちゃんに惹かれ、もともと目当てだった「時をかける少女」と一緒に買ってしまった…。


読んでみた結果、衝撃でしかなかった。

え、え、なにこれ。なんだこの話。オナニーって何。ドラッグってなに。セックスって何。とろろ芋美味しゅうございましたって何。

さすがに上記の言い方では自分が当時無知すぎる子供だったかのようになってしまうが、性知識に関してもアンダーグラウンドな世界に関してもまだほんの僅かな知識しかなかった小5の私にとっては衝撃すぎて最初は訳も分からず追い付けなかった。でも、何かを感じられずにはいられなくて読後謎の満足感があった事だけはただ覚えている。

だが、すぐにこの後私は様々なコンプレックスを抱え込むようになり(確かこの時期に久米田康治の『さよなら絶望先生』にハマるようになった)、現実に辛くなった時や性的な好奇心が湧いた時、この本を流し読みする事で安心感を得るようになっていた。だから、この本はずっと私の中で眠ってくれていたと思う。

この本の中で中原岬という少女が登場する。こんな事を独白して何になるという話だが、私はこの女の子のようになりたくてしょうがなかった時期がある。

それは他者への承認欲求やら庇護欲やら自己の存在意義やら、闇のような感情をひっくるめたものが詰まっていたのだが、

結果だけ述べると私は中原岬にはなれなかった。いや、ならなかったんだと思う。

だからこそ、今中原岬ちゃんを見るとなんともいえない感情が沸き起こってくるし、でもやはり彼女の生き方は嫌いになれないし、どうか幸せになってくれと思う。

と言いつつ、中原岬ちゃんがどんな女の子だったか完全には思い出せないんだけど「他者を救済しようとする天使に見えて本当は自分が救済されたかった少女」みたいな認識でいる。

ちなみにそのあと大槻ケンヂにハマった際、この作品のアニメのEDが大槻ケンヂが歌っててびっくり嬉しかった思い出がある。なんだかんだで自分が好きになったサブカルってどこかしらまた自分が好きになったサブカルと繋がってる事が本当によくある。(アーバンギャルドだったりももクロだったり上坂すみれであったり。)

また、この作品は色んな著名人の方から評論の題材に使われているイメージがあって、確かにひきこもり問題など現代のサブカルチャーを表すのに使いやすい題材だとは思います。

だけど、当時私の中ではあまりひきこもり問題に対して深刻さを感じなかったというかまだ感じなくてもいい平和な環境にいたからこそこの本に対して「辛さ」よりはダメ人間でもなんだかんだで生きていけるんだという「安心感」を与えてくれる作品として見ていた…。


前回に続き、自分の内面語りに近い内容の記事になって、何かに囚われてちょっと自分をネットの中で出し過ぎているんじゃないか?と、少し恐さを感じている(推敲する際も自分で危険を察知して一部消した)。

あんまり内面に拘りすぎるのは身体にも心にも良くないなぁと思うので、次はもっと直感的な内容を書きたいし書く。