その中で眠るたび何度も夢を見ていたのだが、体調の悪さにも影響してくるのか悪夢ばかり見てしまい、起きたら汗だくになっていてタチの悪い頭痛が残っているような状態になる事ばかりだった。
今日は、やっと体調が良くなり始めたからか先ほど寝たときは夢自体はさほどキツいものではなかったのだが内容としては起きた際に気分的に寂しさが募るようなもので30分ほどなんとも言えないような気持ちになっていた。
さて、どんな夢を見たかというと(夢を見てから2時間ほど経ってしまったため明確にはもう思い出せないが)、高校時代の親友的存在だった女の子が自分の大学にいる友達や先輩と一緒になって自分と遊んでいる夢だった。
現実だったらそんな事有り得ないのだが、親友は高校時代のマイペースさは顕在のままで、大学の友人たちと溶け込んでいて普通に旅行していて私も違和感を感じず過ごしていたため、目を覚ましたときには「あっ…」と声が溢れてしまうほどこっちが現実だと視認するのが多少辛くなる程度には戸惑いを感じてしまった。
ここまで感情を突き動かされてしまったのは、結局の所、物理的に離れた場所に身を置くようになっても彼女に対して私は依存的な感情を抱いていたままだったのかもしれない。
その親友の事をもっと詳しく話そう。
彼女と知り合ったのは中学時代の頃だった。その時は別のクラスだったが私の当時の友人と同じ部活だったよしみもあり、また帰り道が同じだった事から何度か一緒に帰る事があった。
ただ、当時の私はかなりの人見知りで彼女に対して完全に心を開ききれておらず、その上で彼女の少しハッキリとした物言いがあまり好きではなく、多少の苦手意識を持ちながら関わっていた。
だが、彼女に対しての意識が明確に変わったのは高校受験の時だった。同じ高校を受けたため受験会場も一緒で、中学時代同様に帰り道が同じなため2人で帰る事になったのだ。
その時の話題自体は大体は取り留めもないものばかりでそこまで覚えていないのだが、明確に覚えている事が幾つかある。
まだあまり歩いた事がないような道だったせいで私達は迷ってしまった。
そこで、なぜか私達は、一駅分の道を歩くために民家の塀を登ろうとしたり線路のすぐ横を歩いたりするなど謎の経路を駆使して駅まで辿り着いた。
その時にした会話は覚えてはいないけれど、彼女のマイペースすぎる行動に呆れ始めた私は、普段は絶対人に対して言わないような暴言染みたツッコミを何度も言い放ってしまった。
彼女はそういった返しは慣れっこな模様で、それでも何の話題にでも反応してくれる私が面白かったらしく、「⚪︎⚪︎って、電池入れたての元気なおもちゃみたいな反応してくれるね」と謎の評価を頂いてしまった。
そんなこんなで、私はやっと彼女に心を開くことができた。
そして晴れて2人とも高校にも合格したのだが、エスカレーター式の閉鎖された環境のような中学から抜け出した結果、新しいクラスに馴染めなかった私達が2011年の春にそこにいた。
高校1年生の時はお互い別のクラスだった。だが私も彼女も、多少クラスの友達は出来ても完全に馴染むことを躊躇い居心地の悪い立ち位置をクラスの中で築き上げていた。
だからこそ、2人きり(時たま、同じ部活の子も絡んできてくれたけど)の傷の舐め合いが始まってしまった。
最初はクラスで適当な友達とお弁当を食べていた私達だったが、段々空気に耐えられなくなり始め散らばり、気付いたら図書館の前にあるベンチで、ストーブも付かずしかも風通しもかなり良いスペースの中2人で長野の凍えるような冬の冷気に震えながら膝掛けをしてお弁当を食べていた。
そんな私達を労ってくれた図書館の先生が冷え切った空気が入ってこないようにバリケードのようなものを置いてくれたこともあった。
そこでは、当時流行っていたアニメの話題(はがないだったり、まどマギだったり)から、「あのクラスが嫌いだ、自分の居場所なんてない」だとか愚痴をこぼしまくる彼女の話を聞いたり、私が当時仲悪かった同じクラスの生徒副会長のヘイトを彼女にぶちまけたりとクラスの底辺カーストにすら所在出来ているのかわからない話題を昼の1時間毎日していた。
女の子らしく恋愛の話もしたことがあったが、彼女がクラスの中で数少なく自分に優しくしてくれる男の子の事を好きになりおまじないをするために机に落ちている髪の毛を採取し始めたとかそういう話ばかりだった。
(最終的にバレンタインにブラウニーを作ってあげたが玉砕してしまい泣いていた所を見たのは覚えている。そのブラウニーの隠し味に何を入れたのかはもう覚えていない。)
そういった根暗な事を繰り返しているうちに、コンプレックスやら哲学をどんどんと募らせ、図書館の中で「人は死んだらどうなるか」の議題を2人でマジ喧嘩口調になりながら議論していた所うるさくて先生に怒られたり、
帰り道に建物の窓に映る自分達の姿を見て、
「私達はクラスにいるようなキラキラした子にはなれないよね…ほら。(窓に映る自分達の姿を見ながら)」と、
彼女が言い放って私がもうなんとも言えない気分になったりと鬱屈した1年間をなんとなく過ごしていた。
その1年間の間で、「⚪︎⚪︎(私の名前)は私の親友だもん」と何回も彼女は私に対して言ってくれ、表面上は恥ずかしくて素っ気なく「まぁそうだね」と返すばかりだったが、中学時代の友人達よりもずっと信頼もできて気楽に話せる相手だった。
今だから美化されたように語れるがこの一年の間は何度も喧嘩したり、本気でなんなんだこいつはとお互い思う時が何度もあり衝突してしまう事も多かった。
だが、最終的にはやっぱり気楽に話せる友達がいなくなるのが嫌なのでお互いメールだか会った時にすんなり謝って仲直りしていた。
それから高2になってからは私達のことを心配してくれた自分や彼女のクラス担任の先生が私達2人を同じクラスに配置してくれ、小学校時代何度も遊んでいた友達にも再会する事ができ、なんとなく5.6人ほどのグループを作り上げてクラスに居場所も生まれ高1の時よりは健やかに過ごせていたはずだった…が、
親友が恋愛の方でトラブルを起こし不登校になり危うく卒業できなくなりそうになるなど、問題もあった。
それでも、私が毎日LINEを送り続け学校に行けと論理的に説得したところ、
2人ともちゃんと卒業することができ、私は念願だった関西の大学に進学し彼女は県の短期大学へと進んだ。
これで青春の思い出を語り尽くし2人とも新生活を楽しく過ごしています…めでたしめでたしといかないのが物悲しさかな、と思う。
大学に入った当初、「あーやっと気楽に勉強して過ごせるなぁ、これでもうあの子の面倒を見なくて済むし」と思っていた私だったが、なぜか思うように様々なことに対して身に力が入らなかった。(「なぜか」とぼかしてはいても明確な理由は頭の中で何個か思いつくがそれはここでは書きたくない)
それは彼女も同様だったらしい。彼女は高3になってからは私や友人に促されて学校に行くのがほとんどだったため、そのクセが抜けずしかも交友関係の狭い短期大学の環境に耐えられず1年間で学校に行かなくなってしまった。
結局私は、彼女に対して「学校に行け」と言いながら、それで成績も多少上の方に保たなければ示しがつかないと思いある程度学業も頑張れていたのだろうし、
彼女も私のような「学校に行け」と言いいつも一緒にいられる存在がいたからなんだかんだで学校に行ってある程度社会的な生活を送ることが出来ていたのではないかと今になってふと思ってしまう。
実際のところ、お互いを社会的に生かすための共依存の関係性だったのだ。
私がそれを自覚したのは去年の6月ごろで、彼女はもっと早く気付いていたようで「学校に⚪︎⚪︎(私)のような存在がいてほしい」と私に対して独白してきた。
「⚪︎⚪︎のような存在」という所がミソだなぁと思う。私も、全く同じことを考えていたからだ。
でも同じくらい倫理を語り尽くしたりお互い自分達の恋愛話を気遣いなく惚気られるような相手は中々見つからないだろうし、見つけられていたとしても「彼女のような存在」とは思えないんじゃないだろうかと思う。
今の所、私は単位は取れてないせいで留年の危機が迫ってきて頭が痛い状況だし、彼女は短大を休学して様相がよくわからない駅前のゲーセンでバイトしながら10個上ぐらいの男に猫みたいに飼われるような生活を送っている。
多少心配だが、その男性も彼女を社会的に自立させようと取り組んではくれている模様なのでまだ大丈夫ではないかとは思う。
高校時代に比べれば、お互いかなり状況は変わってしまったなぁと思うがまだ20歳なのである。まだまだ色んなことがありそうだ。
とりあえずはお互い成人式で会えたら良いけど…LINEかTwitterで成人式に来いと一言ぐらいは言っておくべきなんだろうか。