桐生あんずです

日常やプログラミングについて書いています。

立命館大学生協ブックセンター 近藤雄生『吃音』刊行記念トークショーに行った

注: この記事は2019年6月ごろに下書きで残していた記事を2019年12月に発掘してある程度追記したものを投稿したものです!!!!!

 

立命館大学生協ブックセンター主催の近藤雄生さんのトークショーに行ってきました。すごく良かったので記憶が鮮明なうちに感想を書き残しておきます。

 

話の流れ

前半が海外の旅での話で後半が吃音と人生についての話。

26歳に就職活動をスルーして結婚と同時に海外への旅をし始めて32歳まで世界を回る生活をしていたとのこと。

自分はあまり海外に行ったことがないので凄いな〜という気持ちでただ聞いていたのだけれど、東南アジアだったら年収30万円でも自由に暮らせるし、5〜6年世界を移動し続けても500〜600万くらいしかかからなかった話を聞いて思ったよりリーズナブルなのだなと感じた。

上記の生活の中で海外での過ごしやすさや文化についての話も新鮮なものが多く、日本から出て海外で働いているエンジニアの人たちの動機が少しだけ理解できた気もする。

 

 

後半は執筆された『吃音』についての話。

https://www.shinchosha.co.jp/sp/book/352261/

 

この本を執筆するにあたって、さまざまな吃音当事者に出会って話を聞いてきたけれど自分が吃音に対して悩まなくなった現状だったからこそ出来たことだったかもしれないということが印象的だった。

理由として、もし吃音に悩んでいる状態のままだったら、当事者間のコミュニケーションのようになり、深刻さが増してしまうのではないかということ。

実際に自分から見ても、吃音当事者同士が吃音についての悩みを語る際、症状の重さや様々な人生背景が当事者それぞれで悩みの度合いが違う故に、自分や向こうを傷つけることになりそうな怖さを感じることがあったので強く共感させられる部分があった。

 

別のトークショーで共演した重松清さんの話も紹介されていた。参加者から重松さんへの質問で、「もし今の人生と吃音症がなく作家になることはなかった人生を選べるとしたらどちらを選びますか」と聞かれて重松さんが「吃音がある故の進路形成で何か大きなものを残せたとしても、何も残さなくても吃音がない人生が選べるなら選びたかった」とコメントされていた、という話をされていたのがとても印象深く、吃音がある故に身に付けることができた言語能力や他者への共感力によるアウトプットで素晴らしい作品を生み出して大成してきた作家の方でもそういった葛藤を持っていることが衝撃的だった。

 

ただ、私の中にも重松さんの気持ちはなんとなく分かる所があって「あそこでもっとうまく話せていたらもっと人生が変わっていただろうな」と感じる局面は多々ある。そんなことを考えたらキリがないので普段はあまり思わないけれど、精神的に割と参っていた就活の時期にはやはり思うところは何度かあった。

それでも、自分が吃音が出始めた10年前に比べたら「吃音」という概念への理解は本当に進んだ実感があって吃音当事者を取り巻く世界は確実に変わりつつあると思う。

そういった変化が産み出される過程の中では、過去のエントリでも紹介した伊藤亜沙氏の「どもる体」や押見修造氏の「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」、菊池良和氏の「吃音の世界」を始めとした吃音に関する書籍が世に出るようになったことが大きく関わっていると私は強く思う。

 

kiryuanzu.hatenablog.com

 

志乃ちゃんは自分の名前が言えない

志乃ちゃんは自分の名前が言えない

 

 

吃音の世界 (光文社新書)

吃音の世界 (光文社新書)

 

 

そして、近藤雄生氏の「吃音: 伝えられないもどかしさ」も吃音者が取り巻く世界を伝える情報の媒体として重要な役割を成す本であると私は思う。

吃音: 伝えられないもどかしさ

吃音: 伝えられないもどかしさ