地元が苦手とまでは思わないけど(親との仲も良好だと思うし会いたい友達も何人かいる)地元を出るのが名残惜しいと思ったことは本当になく、就職を機に長野から東京に出ることで病んでいる中学の友人のエントリを今日読んだ際に全く共感できなくて価値観の違いを思い知らされている……
— 桐生あんず (@anzu_mmm) October 9, 2019
田舎寄りの地元に居続けながら自己肯定感をちゃんと育むことのできる環境にいるの、結構価値があることだと思っているけど、この考え方は自分が地元に対して穿った見方をしすぎている気もする
— 桐生あんず (@anzu_mmm) September 28, 2019
ちょくちょく地元に対する感情を吐露しているのでなんとなく言語化したくなってきた。上記のツイートから見るように「地元メッチャ好き!!!一生ここに居たい!!!」といった感性は消失している人間だと自己分析している。とはいえ、地元に住み続けている親との関係は現在は良好だし、帰省するたびに会いたいなと思う友達は何人かいる。
(でも、年々連絡を気軽に取れる友達は減ってきていると思う。一番仲の良かった友人は男と一緒に金沢に行ってしまったし。確認してないけどもうすでに結婚してそうな予感もする。)
自分がなぜこうなってしまったのだろうかと考えると、やはり中高時代と比べて今の環境の方が気兼ねなく話せる友人たちが周りに多く、単純に地元にいるときよりすごく気楽なんだと思う。
中高時代も楽しかった思い出はある。そうであったとしても、学校という閉鎖的な環境がもたらしているのか田舎の陰湿さゆえなのかわからないけれど、ことあるごとに「異端」寄りの人たちを目に見えて排除したがったり面白がる空気が蔓延っていたように思える。自分がその対象になることは基本的にはなかったけれど、時折すごく怖くなっていたし、自分がその状況を受け入れていて過ごしていることが恐ろしかった。
また、親や祖父母もその時は自分が地元で公務員になることをとにかく望んでいたように見えた*1ので、自分の将来を地元で強制的に決められてしまいそうな閉塞感からとにかく脱したくて、大学進学時に長野からは絶対に出たいと思うようになっていた。その時から信大*2に行こうとしている人たちの気持ちが全く分からないようになっていた。
上記のような出来事があったことで地元で一生住み続けたいと思えるような感性が消失していったと考えているけれど、決して地元が嫌いなわけではない。
エンジニアコミュニティの世界に入った時にちょうど実家のそばに「ギークラボ長野」というワークスペースがあることを知り、帰省時に何度かお邪魔させていただいた。地元のエンジニアの人たちとお話する機会があったのが嬉しくて、「長野にこういう場所がもっと増えたら面白いだろうな」と純粋にワクワクする気持ちがあった。最近だと、Rails Girls Naganoが開催されていたのもすごく嬉しかった。
来年のRubyKaigiの開催地に松本市が選ばれたのを知った時も、自分の出身県が開催地になることに高揚感を覚えていたと思う。開催はまだ半年後だけれど、松本市で公務員をしている父親と松本の地理事情の話でちょくちょく盛り上がっている。
という感じで、今現在は地元に対して良い距離で向き合えているような感覚がある。
また、これは別の機会で書きたいけれど自分の中には潜在的にマイルドヤンキー寄りな感性が潜んでいる気がして、そういった文化や付き合い方を無意識に好き好んでいるように思えてキラキラ都会生活志向があるわけではないな、とふと考えるようにもなっている状況でもある……。(ここはツッコミ所が発生しそうな話だと思うので多くは書かない)
長野には帰らなくても、将来的には地方や郊外に住んでいる未来もありそうな予感もしている。
王将などのチェーン店で食事することに幸せを感じる現象、掘り下げていくと自分の中に潜んでいるマイルドヤンキー気質によるものではと思う時があるんだけど、3年前の自分が似たようなこと言っててこういう所変わってないんだなと感心してしまった(リプライツリー参照)https://t.co/nqZy0pIyw5
— 桐生あんず (@anzu_mmm) September 9, 2019