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桐生あんずです

京都在住大学生のブログです

成人式に出席した話

もう先週の事になるけれど、地元の成人式に出席した。
実際に行くまでは、ただの「式典」として通過するだけだろうなぁと思っていたのだが、成人式の後に参加した同級会含め、普段の日常では感じられないだろう経験が多々あったので書いていきます。


成人式の朝は、予約していた美容院と着付けに向かってヘアアレンジやら着物の着付けをしてもらった。(早朝からこういった準備をしなければならないのは女子の宿命な気がする)
何かあったとすれば、美容院の時に、アイプチに対してめんどくさ〜〜い自分のこだわりが発動してしまい、メイクアーティストの人が「もうあなたがやって」と任される始末に。
めんどくさい客で申し訳なかったです。ただ「へー上手いねー」って褒められた。(8割くらい社交辞令だろう…)

着付けは手慣れてそうなお婆さんにしてもらったがこっちが相変わらずの天然ボケ連発しまくりで前半はコミュニケーションが成立してなかった気がする。あと自発的にボケた時も通じてなかった。
ただ、京都の話をしたら娘さんが京都にある華道の専門学校に通っていたようで会話がはかどる事ができた。
お婆さんもだけど、年配の人や観光好きの人には京都の話をしたら幾分か間を持った会話ができる気がする。


開会式は11時だったのだが、その前に高校の友達と写真を撮る約束をしていたので10時半に会場に着くように移動した。
しかし中々高校の友人に会えなかった。ただ、3.4年ぶりに再会するレベルの中学の知り合いに遭遇しまくった。

正直言って、成人式を迎える前日、中学の知り合いに再会するシチュエーションを想像すると微妙な気持ちだった。

当時は今よりも何倍もコミュ障で、そこまで仲良くない相手には裏でなにか言われた事もあった記憶がかなりあったからだ。それを思い返すと、なんとも言えない気持ちになり、成人式でそんな人と会った際どう立ち回ればいいかと悩んだ。だが、もう6年以上経った事だ。
相手もそんな事、感覚でしか覚えてないかそもそも忘れている可能性が高いし、それを未だにこちらが根に持ってるのも相当ダサいなぁと思った。

そして、私は会場に着いた際自然に身体と口が動いてしまった。
同級生を見かけたら、「久しぶり〜〜写真撮ろう!!^^^^」と声をかけまくるコミュニケーションを無限にやってしまったのだ。
でも、遭遇した側も久しぶりに見た人間は嫌な思い出さえなければ無意識にテンションが上がってワーッと盛り上がる傾向が主に女子にはある。そのおかげで、そこまで仲良くなかったであろう人々とも当たり障りのないコミュニケーションを延々と繰り返していて自分でも内心驚いていた。
ぶっちゃけ、『中学の時この子とそんなコミュニケーション取っていたっけ…?でも会話できてるからいいか…』といったインスピレーションの連続だった。多分相手側もそういう事思ってる。

当時は中学が同じ人間なんてどうでもいいヤツだとしか思えていない事が多いんだけど、6年振りの再会となると、顔と名前を覚えてさえいたら懐かしい知り合いに昇格するのだ
だから、そこまでストレスも感じず適当に「久しぶりだね〜元気でよかったね〜変わったね〜」と適当に会話するだけで気楽なコミュニケーションが出来てしまう。
直言って中学の時よりかなり楽にコミュニケーション出来ていた。
やばいぞこれ、めっちゃ楽しいぞ。
そんなコミュニケーションを延々と繰り返していたら、小学校の時仲良かったけれど中学の時から疎遠になっていた男子や同じクラスだったけどそんな仲良くなかったであろう女子とも気楽に話せるようになっていてびっくりした。

それは、自分が変わったからなだけではなく相手も精神的に大人になり、当時の固定グループの帰属意識やクラスカーストを意識せず人と関われるようになったからなのかなぁと思う。(それでも当時私がコミュ障陰キャすぎて話しかけづらかったが第一の理由だろうけど)

中学生だった当時、成績もルックスもバカにされる事があったり性格も内向的だったせいで色々な人と関われなかったことから、中学時代に対して負の感情を抱く事が多かった。
だけれど、今はクラスの中で比べたらそこそこの大学にいる事から多少一目置かれたり、(そもそもこの年になると学業や就職面の事を真正面からバカにする失礼な人はそんないないが)、ルックスに関しても高校時代にダイエットしたりメイクを覚えた事から「変わったね」「可愛くなったね」と男女両方から言われたりと、今まで拗らせてきたルサンチマンが成仏されていく感覚があった、

正直、成人式と同級会は私にとって中学時代を通過して溜め込んでしまった拗らせを浄化する儀式になったんじゃないかと思ってしまう。

普通に中学時代を過ごした人ならただの通過する儀式なのかもしれないけれど、中学のコミュニティで良いとは言えない評価を受けてきた人(ルサンチマンを溜めやすい人)にとって、周囲からの当時の評価を改められる場だと思っても良いのではないのかと思った。

だから中学にあまり良い思い出はないけれど昔よりは良い方向に変わったと思える未成年の人は臆せず成人式に出席して欲しいなぁと思います。

ただ、そんな真正面から大勢の人に承認を受けているわけではないし、客観的に見れば単なるちっぽけな自己満足に過ぎない。
そして私の根本的な部分は変わっていないのかもしれないけれど、当時感じていた自分の負の面をある程度成仏させるには十分な出来事だったなぁと思いたい。

こんな事を考えてしまう時点で、とても痛いのは分かってるのだろうけれど実際あの日の出来事は、そんなちっぽけ自己満足の道具にはなり得てしまったんだよなぁと感じてしまう。

また当時は微妙な関係だった人々も「また遊ぼうね」と言い合える関係に変化するようになったり、新しい友達を増やす事ができる良い場にもなったし、疎遠だったけれど元々仲のいい友人とも飲みの約束ができたりと、普通に良いこともあった。

というわけで、そんなに思ったより悪いものでもなかったという話でした。(久しぶりすぎてブログの書き方を忘れた気がする