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桐生あんずです

京都在住大学生のブログです

日暮キノコ「モンクロチョウ」雑感

先日「モンクロチョウ」という漫画を急にお勧めされたので読んでみました。
1話は試し読みできるのでそれを読めば雰囲気は分かるかと…。


以下ネタバレがほとんどなので注意です。





簡単に言うと青春こじらせ物でした。
内面はコンプレックス塗れなのに、わざわざクラスカースト上位に表面上溶け込んで無理に擬態しようとする男の子が主人公の話。
彼は途中でサブカル寄りの漫画家志望の男の子と仲良くなるんですが、そこで一緒にサブカル趣味に結構のめり込んでて、
本当はオタク気質なのに、下に見られるのはイヤだから上位の男の子達と表面上仲良くしてカースト上位に地位を保ってたんだなぁと思うと個人的にめっちゃ辛くなった。
んで、そのサブカル趣味にのめり込むのも、男の子と2人だけの世界を築く時もカースト上位の男の子たちに対して『お前らには⚪︎⚪︎君との友情は分からない!』とか心の中で言ってて、根本的に「お前らとは違うんだ」という自分が特別だと思い込む系コンプレックスを拗らせてるんだろうなぁと感じてしまって更に辛くなる。

それはともかく本筋のストーリーは、彼は幼馴染みの女の子がいて、その子は可愛いんだけどデブでちょっと気弱な女の子だから昔からいじめられてて、主人公が唯一絶対的に『見下せる存在』だった。
でも、小4のある日下校中その女の子がすっ転んで生理パンツを装着してるのを主人公が発見してしまい「自分の知らない世界(大人の世界)へ行こうとしている」と恐怖した主人公が逃げ出す所から場面は始まります。文字にするとヤバいですねこれ。
そのような幼少体験からも、女の子への恐怖と周りと自分を比べてしまうコンプレックスに囚われた主人公ですが、そこから何をするのかと言うと、

1話でカラオケ合コンした際に出会った清楚系ビッチにフェラ未遂されて、2、3話で経験済みだと発覚した幼馴染みとセックスして童貞卒業してしまい一気に大人の階段を登ってしまいます。

彼はこの経験により間違った方向に覚醒してしまい清楚系ビッチを見事に都合のいいセフレにします。
それで一時の満足感を得ても、他の友達は結局自分よりも一枚も二枚も上手の経験をしている事が発覚して更にコンプレックスを募らせて人間関係をこじらせていくみたいなのがこの漫画のメインストーリーみたいな感じです。

この主人公、所謂成長しない系主人公で見てて時折本当にキツくなることがあって、最終巻の幼馴染みと感情を吐露し合うシーンでも最初の時と言ってる事がほとんど変わらなくてびっくりしました。
だからこそイメチェンして美少女になってしまった幼馴染みの心を治癒させる存在と最終的になったんでしょうけど。

いつまでも変わる事ができない、変わりたくないと泣く主人公に対して母性を感じる事で荒んだ心を癒す結果になったような。
でも、女の子って残酷なもので昔は主人公のような男の子に対して憧れや好意を持っていたとしても普通に他に良い相手がいたらすぐに乗り換えてその人を憧れの対象に切り替えてるんですよね。
だから、主人公にとって幼馴染みが全てだったとしても、幼馴染みからすれば主人公はもう過去の人のような立ち位置で、今更「俺はお前しかいない」みたいな事を言われてもどうしようもないんですよね。
だからこそ、どうしようもない母性を感じて、また昔の自分を思い返すことができてどんどん変わっていこうとする自分を止められたんじゃないかと。

よくラブコメ青春ものでヒロインが「ずっと昔から幼馴染み君のことが好きだった…」みたいなシーンありますけどあれは本当にファンタジーの類だと思ってます。
たとえそういう事言う女が実際いても絶対再開する間や距離が縮まる前に必ず数人には目移りしてます。(幼馴染み物ラブコメが好きな人すみません)

また、主人公のセフレになってしまった清楚系ビッチの女の子も見ててほんま辛かった。むしろこっちの子の方が見てて辛かった。
清楚系ビッチに見せかけて、この子も実は主人公と同じくらいコンプレックスを抱え込んだリア充グループに擬態して自分をごまかすこじらせ女子でした。
初体験の相手は都合の良い大人の男ってのが妙にリアルなんですよね。
初体験の相手への気持ちを捨てて、他の男に切り替えても心の隙間を満たす手段がセックスになってしまい、やっと自分と同族を見つけて好きになっても心の隙間を満たすためにセックスしまくるのがエロいんですが承認欲求に溺れてるんだなあというのがひしひし伝わって悲しくなりました。
彼女もラストではいちはやく社会人になっていたので落ち着いていくんだろうなあと思うんですが、心の隙間を埋めきれなくて上司と不倫に走ってそうな展開もありえるからコワイ。

適当にシーンや登場人物について思う事を書き綴ってきましたが、
こういったこじらせ漫画を度々読んでて思うんですが、最終的に明確な答えが分かりにくいんですよね。
久保ミツロウの「モテキ」だったとしたら、「自分から意識的に進むことができなければモテなんて概念ありえないんだよ」といったメッセージ性を最後残してました。
そういったコンプレックスから解き放たれて「自分を変える」ということがテーマになっている作品も度々見るんですが、実際誰かに一度指摘されたり何か行動をしただけじゃ「ハイ!自分の内面変わりました!人間関係も自分の地位も全部うまくいって終わりっ!」みたいなんていかないもんです。

モンクロチョウは、締めとしては「高校を卒業して、大学生としての生活を楽しんで幼馴染みから距離的にも離れたことから依存もやめてコンプレックスも多少収まり自分の道を歩き出す」といった物でした。(感想を見て回っていると結局主人公は幼馴染みへの依存を止められてないんじゃない?なんて意見も見ますが私は幼馴染みへの依存はやめられたんじゃないかと思ってます)

こういう漫画に見られるのは、主人公の内面変化を描くスピードが最後はかなり速くなって、「時間を経て大人になったので落ち着きました」のパターンが高校生や大学生が主人公の場合多いなぁと思いました。
青春をテーマにしてるからそうなるのも仕方ないんだけど、明確にこじらせを終わらせる瞬間って結局本人にしか見当つかないし、変化が分かりにくいんですよね。
描けたとしてもキミなんとなく、ちょっとサッパリしたよね程度。
だからどうしても初めは登場人物たちがコンプレックスに囚われまくってて面白いのに後味はよくわからない終わり方の話が最近は量産されてる気がします。

そもそも「こじらせ」ってなんなんだよ?となってくるんですが二村ヒトシの言葉を借りるとナルシシズムと自己受容のバランスがうまく取れてない心理状態かなと最近考えてます。

自己の中には「好きな自分」と「嫌いな自分」がいて、「好きな自分」をずっと見ていたくて「嫌いな自分」を受容しきれない心理状態がこじらせを生み出してどんどん自分に合わない行動を取り空回りな行動をしたり、やりたいことができなくなってしまうんじゃないかと。
(これに関しては説明するのに自分にとってかなりの労力が必要な気がするので別の機会でもっと詳しく書きます。)

とりあえずモンクロチョウはこじらせ漫画としては私的には面白い方でした。全3巻だから読みやすいのもいいですね。(二桁冊数ある漫画があまり読めない人の感想)